詰棋書紹介(88) 来条克由必至名作集


来条克由必至名作集 来條克由 野口文庫 1984.1.1

内藤国雄の序文を引用する。

来条君がお父さんに連れられて我が家に来たのはカレが高校2年の時であった。
「この子を好きな将棋の道に進ませたいと思いますので是非弟子にしてください」とお父さん。
その場で私は来条君と飛車落ちを一番指した。
終って、「将棋の筋はいいですが、プロにはならない方がいいと思います」と返事をした。しかし、「ものにならないときは私が他の仕事につけさせます。とにかくこの子が後悔しないように本人の思うことをさせてやりたいのです。何とぞよろしく」というお父さんの熱意で、来条君は奨励会5級のテストを受け、入会することとなった。
–中略–
プロ界で勝ち抜くには、将棋の感覚がよいだけでは無理で、別のドロドロした要素も必要とする。彼はその要素に欠けるので、プロ入りはしない方が、と初めに断ったのであった。
果たして、というと悪いが「二十歳までに初段」の規定にかかり彼は退会した。
残念なことだがこれでよかったんだと私は思った。仮に四段になれたとしても勝ち負けだけに全てを賭ける世界に、来条君が一生堪えていけるとは思わなかったからだ。

退会してピアノの教師を目指した来条は、やはり将棋から離れることは出来ず、詰将棋と必至図の創作に取り組む。

その成果がこの本だ。

その後、来条克由は2009年に50歳の若さで亡くなる。

来条克由君の葬儀(via.森信雄のあれこれ日記

居候が得意とは、マリさんみたいな方だったようだ。

必至図の創作をする人は少なく、内藤国雄の『詰めと必至』、藤井国夫の『双曲線』、金子タカシ『必死道場』そして本書ぐらいしか思いつかない。

上は持駒制限あり。

来条克由 『来条克由必至名作集』第1番 1984.1.1

こちらは持駒制限なしの普通作。易しい趣向作。

来条克由 『来条克由必至名作集』第45番 詰パラ1982.11

余談

  • よく「詰より必至」というけど、必至の方が全然難しいと思うんだよね。なんであんな諺を作ったんだろう。
  • 「持駒制限」の図も普通に並んでいるが、実戦に役立つという意味では当然「持駒制限」の方が良いだろう。実戦では相手の手駒を見て攻めるのが普通なのだから。ということは詰将棋ももっと「玉方持駒制限」作が流行っても良いと思う。
  • 来条克由は詰将棋も沢山作っていて、必至図と詰将棋を半々で本にしたいといったが、内藤国雄がそれじゃつまらんと退けたと書いてある。来条の詰将棋は記憶にない。発表もしなかったのだろうか。
  • 1箇所だけ来條と書いた。これは表紙も奥付も「来条」なのだけれど、扉だけは「来條」になっていて「きたじょう」とルビが振ってある。それに合わせてみた。

「詰棋書紹介(88) 来条克由必至名作集」への3件のフィードバック

  1. まさしく美意識なんですよね。
    持駒制限は、作図条件の緩和を意味し、安易な逃げ道に活路を求める”作家の甘え”に思えてしまいます。
    個人的に多くの(全てではありません)双玉作品に感じるのが、やはり同じ意味の甘え。もっと高みを目指して欲しい。
    例えば玉で直接王手をかけられないことを使った余詰回避なんかを見ると、寂しくなるばかりです。
    価値観は時代と共に変わるもの。それが時代の求める変化ならいたしかたありませんが、せめてスマートさくらいは維持してほしいものです。
    もちろん私個人の感性で一般論ではありません。

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