詰棋書紹介(92) 江戸詰将棋考


江戸詰将棋考 三木宗太 詰将棋研究会編 将棋天国社 1987.4.20

三木宗太 昭和60年2月11日逝去。なんとまだ44歳の若さだった。

森田正司氏の後書きを読むと、詰将棋の世界に入ったのは33歳と遅咲きだったが、急速に古図式の研究家としての地位を固めたとのこと。
『古今短編詰将棋名作選』の江戸時代の部の選局と解説を担当した。
それが本書にも収録されている。

詰将棋の歴史に興味を持たれている方には貴重な論考が集められているのだろう。

木村義徳八段の序文から引用する。

まず「初代大橋宗桂が本因坊算砂より将棋所を譲られ」というのは、確実に本因坊家の作り話と思う。名人はもちろん、将棋所という言葉も当時まだなかったからである。宗桂は将棋の強い町人にすぎず、扶持を約されたのは家康が囲碁・将棋のファン(これは確実)だったからであろう。

また『詰物百番』をいう写本の第64番に大橋宗英の作品という図があるということも初めて知った。
(大橋宗英とは江戸時代の名人中で実力第1位と目されているが、詰将棋作品集を献上するという慣習をやめてしまった人物として有名)
ただし上田吉一さんより、その図は久留島喜内の『将棋妙案』第67番とほぼ同一との指摘を受けている。一体どんな事情で大橋宗英作として残されることになったのか想像を膨らませてしまうが。

さて第2部が作品集で、発表作80と未発表作の中から50局が選ばれて柳田明さんが解説をつけている。
条件作の多い短・中編より、筆者は長編趣向作の方が好みなのだが、悩んだ末特徴のある飛一色図式を選んだ。

三木宗太 『江戸詰将棋考』第12番 詰パラ1983.11

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