ヨヅミですか? ヨヅメですか?

Writer : 谷川幸永

「詰み」と「詰め」の使い分け

 動詞の連用形を体言・複合語(の前部)として使用する場合、伝統的には送りがなを省くことが認められており、「詰み」・「詰め」共に「詰」と表記され紛らわしくなる(私自身は普段、つみ⇒詰み:つめ⇒詰、と厳格に書分けしている)。その結果、どちらの語・読みが正用法(慣用)なのか不明な事例が生じ、私も自信をもてないものが多い。

 実用上は「両方正しい」としておくのが大人の態度かもしれない。規約談義に見られるように、百家争鳴・百花斉放の無秩序は詰棋界のお家芸である。用語問題もその例に漏れず、有名作家が開き王手を「ひらきおうて」と読んでいた、という都市伝説(?)すらある。

 しかし、詰棋の普及を真剣に考えるのなら、基本的用語の統一は不可欠だと思う。最も重要な布教ターゲットは年少者であるが、彼ら/彼女らにとって“正解は一つ”という状況を作為しておくのが教育態勢の要諦ということは、皆さんも自身の学習体験を回顧し、その背後に垣間見える文科省等の営為に思いを致せば、納得できるかと思う。

 用語問題全般において、私の無知は正用法じたいに留まらず、本誌以外での用例の状況に及ぶことをお断りしておく。各メディアに取極・慣行があるはずだが、殆ど未調査である。新聞ではこういう場合の送りがなは半強制的(例:「詰め将棋」)だし、『将棋世界』等の商業誌もそれに近いので、使い分け事例の採集に好適なはず。また、放送・教育の領域では、音声媒体への依存の大きさと、統一性へのニーズの高さから、既に何らかの「標準的読み方」が策定されている公算が高い。ただ、対象語彙はごく限定的だろうし、そもそもそれらの決定に正当・正統性(根拠・権威)があるとの保証はない。

 ついでに「先占」の問題について。規約問題では、商業出版が各々勝手に独自の「ルール」を記述・流布したことが事態を厄介にしている。怪しげな言説が跳梁・先占しているため、全詰連が叡智を結集した規約の制定に成功しても、詰パラ圏外への影響力は覚束ない(“円”はペンより強く、思い込みは理性より強し)。用語問題では、読者の識見が主導権を握ることを望む。真摯なユーザーにしか、言葉の「究極の権威」は帰属しないのだから。

BLUF(いきなり独断的結論)

 Bottom Line Up-Frontという訳で、「慣行の現況」に関する私の憶測と、「単純で覚え易いルールを」という目標に基づき、次の準則を提案する――

 「詰み」は「受方に指し手がない状態」を指す体言の単独使用のみとし、その他の術語では全て「詰め」を使用する。

 なお、「詰み過ぎる」・「詰み難い」等は連用形+接尾辞で本提案の範囲(体言化と複合語)には属さない(と思う)。

ケーススタディのための用語集

 この準則で「詰め」となる事例を集めてみた。皆さんの慣習・規範意識とはどれ位合致するだろうか。(14)以降には異存はないと思うが、念の為と網羅性を期して含めた。なお、綿貫規約(本誌1963.3)の用語規格案が「詰み」と明記しているものにマーキングを施した。

(1)作者にとって想定外の欠陥

 不詰、早詰余詰

(2)好ましからざる手順

 並べ詰、追い詰、俗詰、別詰

(3)それらの別文脈での使い方

 解図力不足・紛れでの不詰、不詰感、変化での早詰・別詰

(4)手順を指す(一般)

 詰、詰筋、詰方、詰手順、詰手筋、詰手数、(指将棋用語で)即詰

(5)同(特に最終段階)

 詰上がる((10)より微妙に広い)

(6)同(綿貫規約特有(?)のもの)

 本詰、准詰、変化詰、錯詰即詰

(7)同(趣向の描写)

 追い戻り/し詰、エレベータ詰

(8)詰みに関連した非合法手・状態

 (打)歩詰

(9)最終手(準備段階を含むことも)

 突歩詰、吊るし詰、両王手詰

(10)最終状態

 詰上がり、透かし詰、駒余り詰

(11)最終状態に関する分類名

 炙り出し詰、雪隠詰・都詰、清涼詰

(12)同(「~図式」と対になる)

 宇宙詰、象形詰・市松詰、単騎詰、四金詰・一色詰・七色詰・豆腐詰

(13)作品の分類名

 N手詰・長手数詰、趣向詰・条件詰、回文詰、曲詰、イロハ字詰

(14)同(最終状態が関与するもの)

 煙詰

(15)同(変則ルール)

 両方詰、二玉詰、ばか詰、安南詰

(16)同(契機・用途に関し)

 握り詰、祝賀詰、年賀詰、名刺詰

(17)ゲームそのものの呼称

 詰、詰棋、詰将棋

(18)趣味としての詰将棋

 詰キスト、詰キチ、詰マニア

(19)詰将棋作品を指して

 詰物、詰手、詰図、詰方

(20)(「詰む側」でなく)詰ます側

 詰方

(21)固有名詞として

ソフト:脊尾詰、作品:扇詰・二上詰、作品集:詰物語、詰棋人:詰吉、会合:詰備会、イベント:詰1-GP、がある。

「自動詞vs他動詞」説

 本誌関係者は「詰」と書く傾向が顕著な(間違いを恐れるのも一因?)ので、文献・Webでの使い分け事例は本誌とは疎遠っぽい人のものが多くなる。それらでも綿貫規約同様、本稿の案に反するもの(「詰み」)が多く見られる。

 主要な異見の根拠と思われるのが、

  • 詰み<詰む:自動詞
  • 詰め<詰める:他動詞

という違いに基づき使い分けすべき、という見解である。一応もっともな説であり、私自身も(1)(2)について「詰んでしまう」のだから「詰み」と読むのが正しいのでは?と時々迷ったりしていた。

 しかし、この自・他動詞の別は殆どの場合、一つの事象を別視点から描いたものにすぎない。英語で多くの場合、受動態(be done)・能動態(do)両方で書けるのに似ている。自・他動詞どちらでも記述でき、攻方から見た「詰める」が、受方・客観性・可能性の観点からは「詰む」になり、単なる手順である「詰む」も、創作・解図の対象・精華としては作為性を示唆する「詰める」に昇格する。その間の選択は流動的で恣意に陥り易く、用語法の準拠たり難いと思う。なので「詰め」による統一にも一理あるのだ。

 なお、「詰み」/「詰め」を併存させニュアンスに応じて使い分ける自由主義体制も魅力的に映るが、そういう目的なら、本提案の対象である複合語・体言化に代えて、連体形・終止形などで表現する方が直截的でよいだろう(後出)。抑々、一人遊びである詰棋では、指将棋の文章のような「視点の差」を強調した表現のニーズは乏しいと感じる。

特に「詰め上がり」について

 日本語文法としては、出来上がる/作り上げるのように《自動詞+上がる/他動詞+上げる》という使い分け規則が確立しているようで、私も「「詰み上がり」が正用、「詰め上がり」は誤用ではないか」と考えていたことがある。

 しかし、「A+上げる」という複合他動詞から、自発(広義の受動)の自動詞「A+上がる」が派生する系統がある。Aとしては、巻き・噴き・持ち・積み・競り・吊り・書き・組み・刷り・織り・染め・焼き・炊き・蒸し・茹で、と他動詞が多いが、仕上がる・立ち上がるのような例もある。とにかく、「詰め上がり」(<詰め上げる)も文法的に正しいように思える。

「詰み」の用例について

 この提案で使用禁止となる「詰み」の用法について数点述べておく。

 「詰み形」という用例を採取した(「詰め形」も)。二義あるが、それぞれ「詰め上がり」・「詰む形」とする方が曖昧でなくよい表現だ(後者については少し苦しい主張?)。指将棋で頻用の「詰みがある」という言い方も、「詰めがある」の他、「詰む」・「詰まされる」等で代替できる。さすがに、詰棋界の外に強制はできないが。

 なお、「詰み崩し」は「積み崩し」の誤りか。

結言

 最近の書名で(4)の「詰め」の代わりに「詰み」を用いた例も多く、本稿の準則案の普遍・妥当性はかなり怪しい。更に、私自身の無知を完全に棚上げしての提案(無恥)である。それでも敢行したのは、「詰」という共通表記の背後に「詰み」vs「詰め」の対立が結構潜んでいるかもとかねてより推測しており、広く問うてみたかったところ、最近Web等で発信される方々の表記に、私の規範意識と異なる「詰み」という事例が多く見られるのに後押しされた次第。とりあえず綿貫規約を改める提言内容なので、本稿にも幾らかの存在意義はあるかと思う。

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