詰将棋入門(131) 駒場和男「父帰る」

駒場和男「父帰る」『ゆめまぼろし百番』第100番 詰パラ1970.2

この連載で3作目の煙詰だろうか。(小駒煙「嫦娥」は別として)

本作は手数も長いし、あの駒場和男の作品。
解こうとはせずに、どんどん作意を並べていこう。

45と寄、65玉、55と、同玉、

66角と飛車を取りたいところだが、初手は45と寄。
44と引ではないのは、恐らく53地点への利きが後々必要になってくるのだろう。
65玉にあっさり55とと捨ててしまう。
これは65桂を初形から消去したということだ。
この伏線はいかなる意味だったかは作意手順で分かるやいなや。
分からなかったら紛れ順を追うしかないが、ここでは作意を進めていこう。

66角、同玉、57金、同玉、58銀、66玉、

待望の飛車を取り桂馬も取り香を取る。
これを同金だと56飛以下金を取り角を取り、89香で詰んでいる。
66玉ではなく56玉と逃げるのは47龍と迫って詰む。
(といってもけっこう手数がかかる)

78桂、同金、67銀、同玉、79桂、同金、
68香、78玉、

78桂が巧い手だ。この金を入手するのに2回動かしてから取ることになる。
78桂に77玉と潜り込むのは87とから89龍があるので早い。

77飛、同玉、79龍、86玉、85と、同玉、
84と、86玉、

79龍に78飛合は87と、同玉、76角、同飛成、88金以下。
角銀合は手数はかかるがやはり詰むので(当たり前)間駒せずに86玉。
ここで94との邪魔駒消去が出現する。

85と、同玉、94銀不成、86玉、77金、97玉、
87金、同玉、65角、

その意味は94銀生とするためだった。
そして冒頭の伏線の意味が分かった。
冒頭の4手を省略して進めるとこの局面で65桂が存在する。
それでは65角が打てないという訳だ。

   96玉、85銀、同玉、76龍、95玉、
94と、同玉、83角成、

角を取る前に事前工作で94銀にしておいた効果で96玉の逃げに85銀と攻めを継続することができる。
そして打ったばかりの角をあっさり成り捨てる。
これは妙手だ。96龍、95合、93銀成と進めたい所だが、96龍では95金合として、93銀成にも76角にも84玉でしぶとく詰まないのだ。

   同玉、85龍、92玉、94龍、82玉、
73と、同玉、63歩成、同香、同香成、同玉、

73角成に95玉は73馬として84間駒に96歩と押さえてから84馬で詰む。
84桂合だけは先に84馬から85歩として桂馬を後から使う要領だ。

85龍には84飛合がでてきそうな形だが、73と、92玉に81銀不成、91玉、82と、同飛、92歩がある。

68香を活かして73とと攻めるのは自然だ。
63歩成に82玉と戻られたらどうなるのか。
1歩持ったので84龍で詰む。
92玉なら93歩が打てる。
83に何を間駒しても73とから92歩だ。

64歩、73玉、75香、82玉、81と、同玉、
71歩成、同金、同香成、同玉、

歩と香で82玉まで追い戻して金を入手する順は楽しい。
ところがここで手が止まる。
なだか手掛かりがなくなってしまったように見える。

74龍、72角、

74龍でいいのだから龍は本当に強力な駒だ。
出現した角が後に玉の死命を制する重要な駒になる。

金銀の間駒は62金、同玉、63歩成、同金(銀)、61とで詰む。
飛桂香合はもっと簡単。
むしろ72歩合が難しい。62金では82玉と逃げられてしまうからだ。
正解は72歩合は61と。同玉ならそこで62金でよいし、82玉なら83金で簡単。

62金、同玉、63歩成、同角、52香成、同角、
同と、同銀、

作意は同銀だが同玉はどうなるのか。
これは『ゆめまぼろし百番』でも『看寿賞作品集』でも言及されていないが、43と、同玉、53歩成、同玉で作意に戻る中分かれではないだろうか。
(時間があれば柿木将棋で検討するのだが、今はその時間がない)

53歩成、同銀、同と、同玉、75角、

さて間駒から入手した75角が限定打。
86から打ったのでは詰まないことは手順を追っていけば分かる。

   43玉、63龍、34玉、45銀、25玉、
23龍、24飛、

そしてまた現れる飛車合。この飛車が玉を追いかけていくことになる。

36銀、15玉、16歩、同玉、27金、15玉、
26金、同飛、同龍、同玉、

75角の利きが玉を都に誘うルートを形成している。

23飛、37玉、27飛成、46玉、47龍、55玉、45龍 まで103手詰

還元玉都煙詰。

固有名詞だった看寿の「煙詰」がお黒川一郎の「落花」以来一般名詞になった。
それは初形盤面39枚の初形条件と終形3枚の終形条件が組み合わされたものだが、詰上りの玉が周辺にいない場合、終形4枚でも「煙詰」とよぶことに誰も異存はないだろう。(厳密には「浮玉煙詰」というらしい)

枻将棋讃歌1981.7で駒場和雄は「創作の限界にたった駒柱」という文で今作を紹介している。
よくみると慥かに6筋に駒柱が立っている。(これって縁起がいいんだっけ?悪いのではなかったっけ)

あらためて初形を眺めると、美しい配置だと感じる。
自陣成駒がないとか銀桂香の成駒がないとかは筆者はどうでもいいことだと思っているが、本作の配置は美しいと感じるのである。

『ゆめまぼろし百番』から引用する。

父帰る、父帰る。放浪の果てに、疲れ果て、すべてを失った孤独な父は我が家(55)へ辿り着く。何と、そこには母(75角)もじっと昔のまま(原形のまま)待ち構えているではないか。大団円である。

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