定年が近づいてきて、つみき書店の構想が固まってきた頃の話。
メルカリとヤフオクをはじめた。
目的は二つ。
一つは本を(特に漫画)を減らして造った本の置き場所を確保すること。
もう一つは通信販売のノウハウを得ることだ。
その結果分かったことは
メルカリで本を売っても
本は減らない
ということ。
その理由は簡単で、売れる以上に買ってしまうからだ。
「おぉ、これ以前持っていたけど手放したマンガだ……もう一度読みたい……うん、読み終わったらすぐにまたメルカリで売ればいいや」
という思考が、ポチする誘惑から抗えなくしてしまう。
通信販売のノウハウは一言でいえば
梱包材が思った以上に場所を取る
ということだ。
そして、いろいろな人がいるということ。
値引き要求してくる人
これは別に嫌ではない。
外国旅行にいって買い物を楽しむ雰囲気をメルカリで味わおうという方だろう。
でも、この手の人が多いので、はじめは少し高めに値付けすることになるとすると、交渉無しで買ってくれる人に申し訳ない気もしてくる。
初版かどうか訊いてくる人
以前も書いたが。「初版は誤植が多いので可能なら避ける」というのが普通の常識。
電化製品だって「初期ロットは避ける」よね、普通。
ところが本が好きな(はずの)人には「初版は価値が高い」と考えている人が少なからず存在する。
その理由を野々村さんに教えてもらった。
昔、浮世絵は初刷は作者も絡んできちんと刷ったが、2刷以降は粗悪品も多かったからだそうだ。
なるほど本が版画同様の芸術品だった時代には納得できる理由だ。
現代だったら初版以外は粗悪品ということはない。(詰棋メイト創刊号は例外?)
だとしたら寧ろマンガだったミスが残っているといった稀少品狙いか?
手塚治虫の「火の鳥」みたいに刷り毎にいろいろかわっているのでコンプリート狙いとかもあるか。
しかし、殆どは単なる「初版信仰」だと思われる。
なので「初版ですか」とlコメントしてくるお客さんは面倒なのでブロックすることにしている。
帯があるか
これも書いたことがあっただろうか。
帯は本屋に平積みされた時のアイキャッチなので、購入したら外して捨てるのが作法だ。
でも、これは気持ちは分かる。
先日、齋藤夏雄『詰将棋の世界』日本評論社をamazonで購入したら帯が付いていなかった。
書影では若島正の推薦文が載っている帯がある。
これはちょっと損した気分になった。
ヤスリをかけた痕がありますか
先日、このようなコメントをみつけて驚いた。
この人はそのことによって何を判断しようとしているのか?
本には再販制度というものがあり全国で定価販売が保証されている。
つまり輸送費がかかる遠方地でも出版社直販でも同じ価格で購買者は購入することができる。
さらに取次という仲介業者(仲買ではない)が、全国の書店に出版社の本を委託販売するという形式が定着している。
書店は出版社から本を預かっているだけで買い取った訳ではない。
売れた本だけの代金を支払い、売れなかった本は1年後(契約による)に返本する。
すると1年間立ち読みされたり(本屋によってはわざわざ立ち読みどころかテーブルを用意して「自由に立ち読みしてください」という所まである。買取りした本でやるのならかまわないが……)して汚れた本が戻ってくる。
出版社に勤めていた時、この帰ってきた本をまた売れるように再生するために小口や天・地にかけたのが紙やすりだ。
このコメントを書いた人は「最初の1年で売れなかった本を避けたい」という気持ちなのだろうか。
よくわからない。
古書店で仕入れた本を綺麗にするのにヤスリをかけることもある。
でもそれだったら「新本で買った本ですか?」と訊けばよい。
いやでも古書店で買った本だとしたら、なんだというのだ?
このコメントの意図はいまだによくわからないのだが、古書にヤスリをかけるのがなんだか価値を落とすような気がしてきて最近は手を抜いている。
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