風みどりの詰将棋と関係ない話(12) 虚偽記憶

NHKダークサイドミステリーでマクマーティン裁判という番組を観た。
番組自体はちょっと恣意的な造りで感心しなかったが、中で出てきた虚偽記憶という話は興味深い。
どういうことかというと、子どもはそれまで親には「保育園で虐待されたことはなかった」といっていたのに、カウンセリングを受けた後から「虐待された」と言い始めるのだ。
カウンセラーは親には言えなかった事実を引き出した、もしくは抑圧されてきた記憶を呼び覚ましたと主張するが、それは虚偽記憶を植え付けただけではないかというのだ。

筆者にもこれは事実でないだろうと思われる記憶がある。

子どもの頃に母方の祖母と二人で夜道を歩いた記憶だ。
田舎の家から竹藪の中を通って裏の池に至る道で、途中で「シャクッシャクッ」と音が聞こえる。
それが後ろから聞こえたかと思うと、今度は前方から聞こえる。
筆者が祖母に「あれは何の音?」と尋ねると、祖母は「あれは小豆洗いだよ」と答えるのだ。

しかし夜中に祖母と出かける状況なんてどうも考えられない。
夢に見たことなのかもしれないが、夢の記憶って砂糖菓子みたいに簡単にバラバラに壊れてしまうものだ。

この祖母は死んだ後に、昼間にも現れたことがある。

幼稚園から帰る時、郵便局の前を通る。
そこに高さ30cmくらいの柵があって、その上をバランスをとりながら歩くのが習慣だった。
その柵は郵便局が終わるともう少し高い塀になる。
さらに進むと、2mくらいの高さの普通の塀になる。

つまり最終的にはかなり高くなるが、段階をおっているので幼稚園児にも昇ることができるのだ。

その塀の上をいつも歩いて帰っていたのだが、ある日何かに気をとられたのか真っ逆さまに落ちた。
見ている風景が180度回転していく。
時間がゆっくり進み、それまでのあらゆる出来事が物凄い速さで想起されていく。
所謂「走馬灯のように」という奴だ。当時はそんな言葉は知らなかったが。
生命の危機に際し、過去の記憶から何か助かる手段がないか、必死に検索していたのだろう。

そのとき祖母が何処からか現れて筆者の足首を一瞬だけ掴んだ。

時間の進み方が通常に戻り、筆者はくるっとさらに180度回転して尻から着地した。
怪我もしていないし、たいして痛くもない。

周りを見渡しても、勿論祖母はいないし、人っ子一人いない。
塀のそばに電信柱があったので、塀と電信柱の間に足が挟まったのだろうと考えた。
では祖母に足を捕まれたという意識は何処から訪れたのか。

わりと最近、自分の記憶が書き換えられていたことを教えられたことがある。
別のブログに書いたのだが、こちらにも転載しておこう。


遠足で山道を歩いていたら、目の前を歩いていた女子生徒3人のうち1人がふっと消えた。
30年教員の仕事をしていても、なかなか経験できない強烈なシーンだ。

心臓が止まるかと思った。(実際に心臓が止まったわけではなくて、時間感覚が速度を上げて、相対的に心臓の鼓動が間延びしたのだろうが)

急いで駆け寄ると、幸い数メートル下の斜面(上から見ると断崖絶壁に見えたが、目のついている位置が理由の錯覚で、実際には30度ぐらいだったようだ)にA子はへばりついていた。本人も何があったか理解している様子ではなく、ただ茫然としていた。
まったく怪我もなく、事なきを得てほっとした。

25年以上たっても、くっきり覚えているこの強烈な記憶。
ところが、昨日その当事者と会って驚いた。
この記憶が間違っているというのだ。

私は滑落したのはA子だと記憶していた。
しかしA子が言うには、落ちたのはM子だという。
私にとっては数少ない、鮮明な記憶なのに、主人公(?)の顔がすげ替わっていたとは!?

A子は芸術家肌のおっちょこちょいな子どもで、その山歩きをするという当日もトレッキングシューズでも運動靴でさえもなく、通学用の革靴で現れた。それで滑って落ちたのはA子だと、長い年月の間に記憶が書き変えられていたらしい。
A子が言うには、確かに滑ったのは私だが、私は3人の真ん中にいて、同時に3人ぬかるみで滑った。そして谷側にいたM子が落ちて行っただそうだ。

人の記憶というものは、かくも頼りないものなのだ。


因みに芸術家肌だったA子は本当に芸術家になって今はお茶碗とか焼いている。

NHKの番組の中で「人に記憶を植え付けるのはそんなに難しいことではない」という話が出てきたので、ネットで調べてみたら「ショッピングホールの迷子」実験というものがあるらしい。
お前子ども頃にショッピングモールで迷子になったよね、と信頼する人に話されると、そんな経験がないにも可からわず迷子になったことを思い出してしまう人が4人に1人はいるらしい。

子どもの頃、バスに乗って窓から外を見ていたら帽子を飛ばされてしまった記憶とか、いとこたちとどこかに遊びに行ったが何台もの車で行ったので帰ってみたら一人いとこがいなかったという記憶とか、学校の帰りに急にお腹が痛くなってう〇こを漏らしてしまった記憶とか、もしかしたら後から植えつけられた記憶かもしれないな。(でも誰が何のために?)

マクマーティン裁判はNHKの番組では突然アメリカで巻き起こった事件のごとく扱っていたが、これはアメリカで流行った「子どもが親を訴える裁判」の流れから生まれた事件だという記事もあった。
なんでも『心的外傷と回復』という本が原因で、今の自分がどうも調子が悪かったりするとカウセリングを受ける。
カウンセラーはそれは子どもの頃に親から受けた虐待が原因だと抑圧されていた記憶を解放する。
それで子どもが親を訴えることが頻発したのだそうだ。

ほんまかいなと思ったが、あれその本のタイトル見覚えがあるなと本棚を探したら持っていた。

この本は「バイブル」だそうだ。
聖書は持っているだけで役に立つものなのである。

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