詰将棋雑談(54) 香剥総浚[其の弐]

大塚播州『漫陀楽』では香剥がしという趣向はない。
それは分類の仕方が違うからだ。
大塚播州はまず駒取り趣向という大分類を作る。
それを3つの中分類にわける。

  • 連取り趣向(多点連取り)
  • はがし趣向(定点連取り)
  • と金釣り趣向(混合型)

そしてはがし趣向の小分類は以下の通り。

  • 追い趣向型
  • 角中心・龍小回り
  • 駒送り趣向型
  • 合駒はがし
  • 香・二段発射型合駒はがし
  • 遠打型
  • 手筋型
  • 縦四香

なんだチャンとあるじゃないかと思われるかもしれない。
実際、このテキストはこの小分類「縦四香」をベースに作品を集めているのだが、要は別の分類の所にも香剥がしが混入しているのだ。

つまり分類ははがす方法でなされており、何の駒をはがすかで分類されていないから当然なのである。

1953年に「松虫」だが後続作は長いことでなかった。
1969年の上田作は香2枚剥がすだけなので後続作と云えるかどうか。
1973年の上田作が香剥がしの大流行の切掛となったようだ。
なぜなら翌1974年には3作が発表されているから。
今日は1974年に発表された3作を並べよう。

山本昭一『怒濤』第77番 詰パラ1974.2

山本昭一の詰パラデビュー作。当時はまだ高校生だった。
香と成桂を同時に剥がすという複合剥がしの第1作でもある。

大塚播州 桂はがしと香はがしを交互に組み入れた複合剥がし趣向で、この分野の元祖作となることでしょう。単に今までの趣向に若干の差異があるだけの趣向が多い中で、オリジナリティのある作品で初登場の作者に万雷の拍手を贈りたい。

このように絶賛されたのに、旧版『怒濤』においては次のような解説。

高校時代の習作でありアイデアを取りあえず図化した感じだ。その後、大作を連発するのだが、作者にもこういう時期もあった事が今ではほほえましく感じられる。(近藤)

駒取りの序や趣向始まりの部分の乱れ、37香に最初だけ同成桂引限定で後は順序非限定、収束なし……確かにこれらは後の山本作品の完成度の高さと比べれば未熟だ。
しかしあの解説では読者に本作の良さは伝わらないだろう。

つみき書店で『怒濤』の改訂新版を出す動機になったひとつだ。

近藤孝「かずら橋」 近将1974.4

徳島県の近藤孝も大好きな作家。
香剥がし第5作の作者として近藤孝とは意外というかやはり最新流行に敏感だったと捉えるべきか。

上田・山本作は香を剥がすのに桂馬を使っていたが、銀を登場させたことが新しい。
香を合駒で銀に変え、その銀で香を剥がす。
並んだ香のすぐ隣の筋で香→銀を行なうコンパクト設計。

後に、香を剥がす駒として銀を使用した作品が多数現れるが、元祖はこの作品だったのだ。

山崎隆 詰パラ1974.8

さきほど山本昭一が高校生でデビューと書いたが、詰将棋は高校~浪人~大学生あたりが旬の時期だから実はそんなに珍しい訳ではない。
この山崎隆も本作が詰パラデビュー作で山本昭一より2~3才若いから高校生もしくは中学生だ。

本作の面白い所は香を剥がす駒が香だという所。
これはなかなか珍しいと思う。
さらに応手に香不成を取り入れ彩りを添えた所。
流石、後に名作「赤兎馬」を産む作家だと感心するが、当時の大学院担当大塚播州氏は山本作ほど本作を評価しなかった。細かい工夫ではなく、新進作家には新機軸を期待したいということだろう。

いやそれにしてもこの[香剥総浚]、始めてみたら登場する作家がみな好きな作家ばっかりで楽しいな。

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