風みどりの詰将棋と関係ない話(26) プロクルステスの寝台

 小学生の頃はルパンやシャーロック・ホームズから始まって、江戸川乱歩、そして鮎川哲也に辿り着いた。中学生になって星新一から小松左京、そして筒井康隆。最後に夢枕獏という流れに入った。ところが、それと並行してギリシャ神話についても色々と読んだ。それは何故かと考えると、おそらく子どもの頃の『サイボーグ009』が切掛なのかもしれない。



 単行本の4巻はミュートスサイボーグ編で、さまざまなギリシャ神話の神々や半神をモデルにしたサイボーグが登場する。

左からヘレナ、アトラス、アキレウス。シルエットはケンタウロス。

トロイの木馬。

アポロン。2人の博士の名前も古神の名前(天空と大地)。

 おそらく、この漫画を読んでギリシャ神話に興味を持ったのではないかと思う。
たぶん岩波書店の『ギリシャ神話』からはじまって、『イソップ物語』やヘロドトス(だっけ? ヘシオドスかも)、そして喜劇や『オイディプス』などの悲劇を読んで、ホメロスに至った。たしかホメロスの『イーリアス』は読み終わったけれど『オデュッセイア』は途中までで放置した記憶がある。
 そして40年以上の歳月が流れた。

 ギリシャ神話関係の本も今も手元にあるのは数冊だ。
それでも子どもの頃に読んだ本というものは、不思議なもので最近読んだ本よりもより多くのことを覚えているような気がする。

 適当に思い出すに任せてギリシャ神話近辺の話を書いてみよう。忘れたところは今は簡単にネットで検索ができるだろうし。

プロクルステスの寝台

 ギリシャ神話には半神という存在がある。つまり神と人のハーフだ。不死ではないが神の如き力を持つ英雄である。
 有名なのがテセウス・ペルセウス・ヘラクレスといったところか。ペルセウスとヘラクレスは同族。ペルセウスの孫かひ孫がヘラクレスだ。
 日本神話でも今では名も伝わっていない何人もの英雄の話がヤマトタケルに集約されていったように、それぞれの民族に伝わる英雄譚が集積していってテセウスとペルセウス・ヘラクレスの物語に結晶していったのだろう。どちらが何という民族かというのは忘れた。

 そのテセウスがアテナイの王になるために旅をしている途中で退治する山賊の名前がプロクルステス。このプロクルステスは旅人を殺して金品を強奪するのだが、その殺し方がなんともユニークなのだ。
 背の小さい旅人には大きな寝台をあてがい、寝台に合うように身体を引き延ばして殺す。背の大きな旅人には小さな寝台をあてがい、寝台からはみでた手足を切り落として殺す。

 そこでこの逸話からできた言葉がプロクルステスの寝台。「こじつけ」という意味だ。辞書でProcrustes bed をひくと「画一的な方法」とでる。Procrustean は形容詞で「無理に基準に合わせようとする、無理に型にはめようとする、無理に画一化しようとする」という意味らしい。

 先程、ネットで検索してみたら「プロクロステス症候群」という用語もでてきた。「自分より才能のある人や技術を持った人を見下したり、そういった人に嫌がらせをしたり差別をしたりすること」らしい。こちらは普通に「妬み・嫉み」でいいと思うのだが。

 それにしても思うのは、この殺し方のアイデアの独創性だ。といっても本当に殺し方かという疑問もある。はみでた頭を切り落とすのは、それは死ぬだろうが、手足をいや首と足か?を引っ張って延ばすのは拷問のイメージだ。金品目的ならあっさり殺した方が効率が良い。Wikipediaによるとプロクルステスという名前は「伸ばす人」という意味だそうだから、寝台にあわせて身体を引き延ばすというのが最初の発想のようだ。しかし殺すという目的のためには切り落とす方がわかりやすいから、画像検索をしてみても延ばしている絵はでてこない。もっぱら切り落とそうとしている画像だ。
 それにしても一体どうやってこのような殺し方を発想したのだろう。少なくともオイラの頭ではひっくり返してもでてきそうにない。旅人を殺すといえば、日本の鬼婆のように、寝入ったところを刃物でというのがもっとも自然だろう。
 昔話だから、この殺害方法はなにかの暗示なのだろうか。

 すると現代の意味である「無理に基準にあわせようとする」が本来の意味であった可能性が考えられる。なんでもかんでも自分の基準でしか物事を判断しない厄介な人。……年寄に多いパターンだ。オイラのような。

 テセウスはその方法を用いて、つまり自分のしてきたことをプロクルステス自身に味わっていただいて、プロクルステスを殺すという展開になる。因果応報。「目には目を」の判決結果だ。復讐を成し遂げた快感を読者は得る。いかにもそのような強情な老人(とは限らないが……役人か? もしくは村の顔役か?)に苦しめられてきた語り手の心情がうかがえるような気がする。

 学校の教員にも「子どものため」と心から信じて規格にあわせようとするプロクルステスが結構いるのである。そしてそれが強奪目的でなく、親切心からなされるから質が悪い。
 スサノヲの八岐大蛇退治が治水対策であったとするならば、テセウスのプロクルステス退治は画一的な教育制度の廃止だったのだろうか。

 詰将棋の解説をするにあたっても、自分の価値観を基準に書くしか方法がないところではあるが、その基準を他人様に押しつけることはないように気をつけねばならない。おっと、これは「詰将棋に関係ない話」だった。ついつい筆が滑った。(キーボードが暴走した)

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