風みどりの詰将棋と関係ない話(28) パンドラの甕

パンドラの甕

その人間であるエピメテウスにプリメテウスの罪のとばっちり(?)で与えられた罰がパンドラだ。

ここで早くも混乱する。
罰として女性が与えられるとはどういうことか?
普通は報償として与えられるというところだ。

実際に「パンドラ」とは「すべての贈り物」という意味だという。
人類初めての女性として、神々から美しさ・優雅さ・魅力・手芸の技などすべての賜物を与えられた女だということだ。

具体的には次のように記述されている。

名も高き足萎えの神(ヘパイストス)が、クロノスの御子(ゼウス)の御心のままに、直ちに土を捏ねて気品高き乙女の姿を造れば、眼光輝くアテーネーは帯を締めさせ、衣装を整える。女神カリスらと高貴のペイトーとは、乙女の肌に黄金の首飾りを掛け、髪美しきホーライたちが、春の花を編んだ冠を被らせる。さらにまたくさぐさの飾りを、その肌に付けさせたのはパラス・アテーネー。ついで名に負うアルゴス殺し、神々の使者なる神(ヘルメス)は雷を轟かすゼウスの御旨のままに、乙女の胸に偽りと甘き言葉、それに不実の性を植えつける。神々の使者はさらに乙女に声を与え、その女をばパンドーレーと名づけたが、その故は、オリュンポスの館に住まうよろずに神々が、パンを食らう人間どもに禍たれと、乙女に贈物(ドーロン)を授けたからであったのじゃ。ヘシオドス『仕事と日』

ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル – Art Renewal Center, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=238165による

キリスト教やイスラム教などでは「女」は男を惑わせる罪悪だと認識しているように思える。「犯罪の陰に女あり」などという諺も根を同じとするようだ。

ジョン・フラクスマン – Compositions From the Works Days and Theogony of Hesiod. (London: published by Longman, Hurst, Rees, Orme & Brown, 1817, pl. 4.), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=50996539による

Wikipediaにはヘシオドスが女嫌いであったからだという記述もあるが、そうだろうか。
ギリシャ神話の場合はそのような女性蔑視とはいささか異なると思う。
パンドラに美貌などを与えたのはエピメテウスに贈り物を受け取らせるためで、その狙いはパンドラに持たせた贈物—甕の中に詰め込まれたすべての禍にあったからだ。

はじめにこの話を読んだときは「パンドラの匣」だったと記憶している。
今回は匣(はこ)ではなく甕(かめ)にしたのは、元々は下の写真のような甕・壺だったというからだ。

Jolle – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1017347による

ゼウスは彼女に「決して開けてはいけない」と言い含めてこの甕を渡す。

ここがゼウスの巧いところだ。
「決して開けてはいけない」ものを何故持たせるのか?
そんなもの開けるに決まっているではないか。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス – Art Renewal Center, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32169619による

甕からは疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などが人間の世界に飛びだし、以降人間たちはそれらの禍に苦しめられることになる。
パンドラはあわてて蓋を閉める。そして「エルピス(希望)」だけが甕の中に残される。

これがまた意味が分からないところだ。

  • すべての禍が詰まっていたのに、なぜ「希望」も入っていたのか。
  • それが甕の中に閉じ込められたということはどういうことなのか。

Wikipediaを読んでも、検索してみても、色々な解釈があるようだ。

それらを検証することはしない。私の現在の解釈を述べておこう。

ゼウスが「災厄セット」として入れておいたのだから、「希望」も人に禍をもたらすものなのだという考えが自然な解釈だろう。
ブラック企業に勤めていても、もう少し頑張れば良くなるのではないかという希望を持ってしまうと、退社することができなくなる。なまじの希望は変革を目指す心を閉じ込める災厄に他ならないのだ。
それが甕の外には出ずに閉じ込められたということは、最大の災厄である「希望」だけは人類に広まらずにすんだと解釈するのが自然だろう。
そのおかげで、例えば世間に流行病が蔓延しても、「そのうちに治るだろう」といった希望を持たずにさまざまな感染症対策を講じることができる。「希望を閉じ込めた」ことによって、まさに人類に希望が残ったのである。

オマケ:太宰治に『パンドラの匣』という小説がある。中学生のときに読んだはずだが、綺麗さっぱり忘れてしまった。

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