メールやブログでいただいた指摘などを紹介します。
Iさんからのメール
小泉さんの趣旨と違うのかもしれませんが「14桂、21(23)玉、32角打」で検索しました。
ちなみにオイラが検索した結果は下の表です。
作者 | 発表誌 | 発表年月 | 手数 | 完全性 | 盤面駒数 | 持駒数 | 使用駒数 | 玉位置 | |
1 | 北原義治 | 詰パラ P013 | 1956年5月 | 27 | 余早詰 | 2 | 6 | 8 | (1;1) |
2 | 北原義治 | 詰パラ P021 | 1956年7月 | 33 | – | 3 | 8 | 11 | (1;1) |
3 | 近藤孝 | 近代将棋 P83 | 1961年10月 | 41 | 15 | 3 | 18 | (7;6) | |
4 | 岩木錦太郎 | 詰パラ P41 | 2437年9月 | 33 | – | 6 | 4 | 10 | (1;1) |
5 | 近将編集部 | 近代将棋 P106 | 1966年2月 | 13 | – | 3 | 2 | 5 | (2;2) |
6 | 北千里 | 詰パラ P42 | 1980年4月 | 35 | – | 9 | 1 | 10 | (2;2) |
7 | 近将編集部 | 近代将棋 P181 | 1987年6月 | 15 | – | 4 | 2 | 6 | (1;2) |
8 | 土屋交弘 | 近代将棋 P150 | 1991年4月 | 25 | – | 4 | 5 | 9 | (2;1) |
9 | 近藤真一 | 詰パラ P018 | 1994年7月 | 35 | – | 7 | 0 | 7 | (3;3) |
10 | 加藤徹 | 詰パラ P27 | 200008 | 35 | – | 1 | 11 | 12 | (1;1) |
11 | 高木秀夫 | 詰将棋パラダイス P101 | 200105 | 31 | – | 9 | 0 | 9 | (1;2) |
12 | 河原林隆彦 | 詰将棋パラダイス P15 | 200301 | 29 | – | 5 | 4 | 9 | (1;1) |
13 | 新田道雄 | 詰将棋パラダイス P25 | 200411 | 23 | – | 3 | 5 | 8 | (2;1) |
14 | 金子清志 | 詰将棋パラダイス P033 | 200712 | 17 | – | 5 | 1 | 6 | (3;2) |
大体一致していますが、北原作1作と市島作がオイラの検索には抜けていますね。
詰棋通信の分はT-Baseには収録されていないので(オイラが買っていないだけ?)かないませんね。
なお、北原作の元図に「51歩」があったと雑談(76)にありますが、正しくは「61歩」です。
これはうっかりしました。
23玉では「レ」を付けた2件がありました。
第1号が平松作、2号は植田作、北原作は3号ということになります。
「14桂、2(1|3)玉、32角」の第1号局と第2号局を紹介します。
平松繁治 将棋世界1954.5
14桂、23玉、32角、24玉、23角成、同玉、
22飛、14玉、25金、同角、26桂まで11手詰
植田尚宏 詰棋界1955.8
22桂成、同玉、14桂、23玉、32角、12玉、
21角成、23玉、32馬引、12玉、34馬、同銀、
22馬まで13手詰
最初に「趣旨と違うのかもしれません」とありましたが、雑談76でとりあげたのは34桂と打ちたい局面で34角の余地を残すために14桂と打つ手順です。
上の2局はそれとは違いますね。(あの記事のタイトルが略しすぎなのですが)
でも、これで北原作が第1号局という感触が強まりました。ありがとうございます。
ところがその北原作に次の指摘が。
Mさんからのメール
別件ですが、「14桂のルーツを求めて」の北原作は不詰(12手目32玉)と、
tetsuさんがおもちゃ箱の詰将棋メモに書いていました。
げげっ、詰将棋メモは毎朝読んでいるのですが、その記事は記憶にありません。
あわてて読みに行くと…………
詰将棋メモ(2022.4.29)
北原作は不詰か。独楽のうたに再修正図があるが、こちらは早詰。
裸玉なら私の 11玉・角金銀4桂3歩歩 もある。
確かに32玉、22角成、43玉で詰まないようです。
土屋作でもその変化が一番の難所なので北原義治なら抜かりはないだろうと確認しませんでした。
(T-Baseは機械で解いた解答ではないかという手順が作意に登録されていることもあれば、不詰なのに作意が登録されていることもある)
すると結局第1号局は近藤孝作になるのかな。
加藤徹作を紹介します。
加藤徹 詰パラ2000.8
23手目に14桂が登場します。
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