詰将棋雑談(1) 「死と乙女」

「詰将棋入門」を書いていて、これは入門の範囲をちょっと超えているから書くのは止めよう、ということがある。いや、そうじゃないな。入門だからよけいなことをごちゃごちゃ書かないようにしたい、この方が正しい。わかっていても、ついつい余計なことを書いちゃうんだけどね。

で、そのはけ口(?)として、もうひとつ詰将棋雑談というタイトルを思いついた。
野口益雄に「詰将棋ざつだん」という著書があるので、漢字にしておいた。
こちらは雑談なので文体も気楽である。

(それじゃ石川和彦の「詰将棋入門」についてはどうなんだと責めないでください。)

詰将棋入門(20)を見て、山田修司の「死と乙女」を想起した読者は多いと思う。ご存じない読者のために並べよう。

山田修司 「死と乙女」 夢の華 第20番 詰パラ1951.10

オイラはこの作品、山田修司が酒井桂史の作品を見て、
「これ、中央から始めなければもっといけるはず。」
と創作したのではないかと想像していた。

ところが「夢の華」を読むと違うことがわかる。裸玉の創作から生まれたとあるから面白い。

前述の「裸玉」から派生した作で、初期の頃の私の代表作とされている。後に酒井桂史の遺した作に同様のプロットのものがあることが判り、詰棋創作の悲哀や、無常を感じさせられたりもしたが、そのとき既にこの名解説もあって作品が広く知れ渡り、また独り歩きもしていて引っ込みがつかなくなった…というのが私の正直な感慨である。

この名解説というのが土屋健の書いた文章だ。原本は所持していないので「夢の華」から引用する。

 何と云ふ美しい旋律に満ちた作であろう、小さな駒が奏でる悲しい迄に麗しい調べは魂を揺り、見る者をして恍惚と酔はさずには置かない。手順が面白い、最初の駒配りに無理がない、詰上り亦美しい、二回注復する玉の画く軌跡を夫々妙手に見たい、など言ふ事は駄足である、まして平易であるの妙手が無いのと論ずるに至つては烏滸の沙汰である。現在迄に発表された山田君の数ある作中でも突兀として聳ゆる最高峰である。長さに於ても純然たる小駒図式(合駒に大駒を使用しない)としては日本新記録であろう。がより重視しなくてはならぬのは、この作が醸すアトモスフェアであり歌ふ詩である。預言者イザヤではないが、かつてこのことあるを予言した選者の言は適中した。山田君はまづそれを為した。小さな駒々が織りなす階調と色彩は永遠の栄光と生命を唱い尽るところを知らない。山田君が本作品に「小独楽」と題したのは、小駒作品である事と独り楽しむと云ふ点より名付けたものだが、楽しむ事は詰将棋の本質だ。然し本図は独り楽しむ境地を遙かに脱し、解く者総てに楽しみを与へずには置かない。その点不適当であると考へ、図面に傍註しなかった。「死と乙女」これこそ題するとすれば最もふさはしくはないだろうか。選者はロマンチストではないが反射的にこの題が脳裏に仄めいた、と云ふより全身を以つて感得したのである。「死と乙女」 これはシューベルトのクワルテット(四重奏)であるがセロは常に死の如く甘く、低く誘ひ、バイオリンは不協和音を以つて乙女の儚い抵抗をすすり泣く如く亦訴へるが如く救ひを求める。遂に死の勝利の円舞曲で終る。本図では香と桂が取れ取れと玉を誘惑する。取れば即ち死を意味する。右に左に救ひを願ふ玉の悲しい反抗も、勝利の円舞曲を表現する右側に於ける折衝で死の凱歌を以つて終る。簡単な序曲より直ちに主題に入り軽快なワルツで幕となる本作品に陶酔したのは選者独りではあるまいと思ふ。近代詰将棋中のロマンスを代表する佳作である。
 某作家が本題に酔ひ軽い眩量を感じて、己が作品に思ひを致し「止んぬる哉」の一言と共に駒を投じたと言はれて居るが、選者は決してそれが誇張とは思へない。再び言ふ、この傑作を題して「死と乙女」。

作者のつけた題名を勝手に選者が変更してしまうというのも驚きだが、これだけ全身全霊で誉められたら納得してしまうだろうなぁ。当時山田修司は19歳。

解説者は特に若い人の意欲作はこれくらい誉めてあげるべきだよね。

(オイラも大学院担当していたとき、もっと誉めるべきだったと反省している。)

それにしても、土屋健といい、最近(?)では黒川一郎といい、どうやったらこういう文章を書けるようになるんだろう。漢文の素養なのかなぁ。

原敏彦の「君知るや99飛」みたいに解説が記憶に残るって最近どんなのがあります?


著作権に問題なさそうなの貼ってみる。

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