詰将棋入門(32) 第1部・第2部

佐賀聖一 将棋月報 1943.4

予定した作品に余詰が見つかり、急遽差し替えた。
途中から雰囲気が変わるところを楽しんでほしい。

23桂不成、12玉、11桂成、同玉、22金、同玉、32香成、11玉、
22成香、同玉、33銀不成、11玉、23桂、21玉、31桂成、12玉、
13歩、11玉、21成桂、同玉、24龍、31玉、22龍、41玉、
42歩、51玉、31龍、62玉、71龍、63玉、74龍、62玉、
72龍、53玉、44金、64玉、75龍、63玉、74龍、62玉、
72龍、51玉、41歩成、同玉、32銀不成、同玉、52龍、23玉、
43龍、24玉、34龍、15玉、35龍、16玉、36龍、17玉、
27金、18玉、16龍、29玉、19龍、38玉、28龍、49玉、
67角、59玉、58龍 まで67手詰

序盤は33銀不成を中心に、23桂が消えたりまた現れたり、きめ細かい手順が続くが、龍が動き出してからは「第2部」という感じで、盤面狭しと龍で追いかけ回す。
19角の効きだけでよく余詰を避けているものだと感心する。
その19角も消え去ってやっと59玉で終幕。

現代の感覚だと大きな疑問符がうかぶ構成だ。
筆者が詰パラの大学院の担当をしていたときに、もしこの作品が投稿されてきたら、まず採用することはなかっただろう。

このような感じで右上でまとめたい素材と感じてしまう。

この作品を「現代では通用しない作品」というのは間違いではないだろうが、「現代では」の部分のニュアンスには注意したい。

「昔は通用したが、現代では通用しない」という意味ではない。
「当時は流行していたが、現代の流行とは違う」という意味である。
もしかしたら、未来には大傑作ともてはやされる時代が来るかもしれない。

マルクス史観に毒され、「歴史は進歩するもの」と思い込み、現在に生きる自分の価値観は昔の人の価値観より優れていると思い込んだりしてはいないだろうか。

平安時代の美人と現代の美人は異なるだろうが、美意識が進歩したわけではあるまい。

「当時の流行」だったというのは実は推測である。
その時代を筆者はよく知らない。
もしかすると作者のマイブームにすぎないのかもしれない。
それでもよいのだ。

先日どこかで「自分の価値観が周囲に認められない」と嘆いている文章を読んだ。
挫けずに自分の価値観に忠実な作品を発表し続ければ良い。
そのうちその価値観に共感してくれる人が現れる。
ずっと現れなかったら?
大丈夫。ゴッホだってアーベルだって生きている間は評価されなかった。

(どこが大丈夫なんだ……?)

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