詰棋書紹介(29) 般若一族全作品

黒田紀章という人物は「昔の」将棋指しという雰囲気を纏っている。

近藤郷さんは渋谷の高柳道場で出会ったと言うし、宮田利男八段も知っているようなそぶりだったので、私は高柳門下だったのではないかと想像している。なにしろ詰将棋作家を生み出す一家だしね。
そう思った理由はもうひとつあって、大井町道場で私が黒田氏に将棋を教えてもらったときに、教わった囲い方がどうも角落ち上手の指し方を平手に応用したものではないかと感じていたことだ。駒落ち上手を研究するのは奨励会かなと……。

なにをしている人なのか、どんな人なのか、今は生きているのか死んでいるのか、なにも解らない。
でも、解るのは詰将棋を物凄く愛しており、そして物凄い詰将棋を構想し創ることができる人だと言うことだ。

谷幹さんの功績を忘れているわけではないが、近藤郷さんはよくぞこの本を纏めてくれたものと思う。
本当に大変な努力の結晶だ。まじめな話、人類を代表して感謝します。
いずれすべてのデータは無に帰していく運命とはいえ、近藤さんのお陰で黒田紀章の生きた情報は10000倍は長生きすることになるだろう。(数値に根拠無し)

首猛夫(谷幹)のデータも消えないうちに読んだことのない方は読んでおくべし。
般若一族の叛乱

紹介するのは当然、黒田紀章の原点「イマイヒカル」。

今井光 般若一族全作品 第1番 近代将棋 1971.8

高柳道場で捨てられてしまった、この作品以前の傑作の数々は一体どのような作品だったのだろう。
また私が見せてもらった馬鋸作品もまだ陽の目を見ていない。あの作品も傑作だったが、完成しなかったのだろうか。

あ、忘れてはいけない。
この本、つみき書店で入手できます。
未読の方は是非買ってください。

「詰棋書紹介(29) 般若一族全作品」への3件のフィードバック

  1. この本の重要エピソード?
    藤井七段が解答選手権で初優勝された日の朝に、この本を(入品祝として)プレゼントしました。
    あの日は彼にとって小学生最終日でしたが、この本を満面の笑みで読む小学生の姿が、とても印象に残っています。

  2. 首猛夫さんは般若一族の印象とは真逆の気さくな人で(近藤さんもそうだけど)、大院を担当されていた時に自分の短評をすごく褒めてくださって解答を続ける自信につながりました
    ホームページにしろこの本にしろ、何らかの形で記憶が残されていくというのは大事ですね

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