「現代将棋」成立に関する一考察

現代将棋のルールは非常に特殊である。世界中に祖先を同じにもつと思われるゲームは多数がるが,「取った駒を使える」という持駒ルールは現代将棋のみであるという。このルールは一体どのようにして生まれたのであろうか。

画期的な新ルール

本稿は,「現代将棋」の成立に関して,「禁手」の設定から考察して見たものである。「現代将棋」とは,「現行の日本の将棋ルール」の意味で用いている。

ご存じのように,世界にはさまざまな将棋がある。また日本においても,「小将棋」「中将棋」「大将棋」「大々将棋」「まか大々将棋」といった将棋の仲間が存在する。

その中で,「現代将棋」は一番成立が新しい。新しいだけでなく,それ以外の将棋と一線を画する画期的な新ルールによって成立した,まさに現代的な将棋である。

その新しいルールとは,持ち駒ルールである。

盤外に追い出すことに成功した敵の駒を,そのもとの性能をそこなわずに,しかも,本来のスタート位置からではなく,まるで落下傘部隊のように自由に,味方の駒として活用できるというのは,非常に大胆で斬新な発想である。

西洋将棋の代表格であるチェスにも,このルールはないらしい。このルールはなにをもたらしたか。

駒を取り合って,盤上に駒が少なくなっても,指し手の選択肢は逆に増大するのだ。囲碁でもチェスでも,終盤になれば,物理的な指し手の選択肢は減少していく。しかし,現代将棋は逆に終盤になれば選択肢は増大し,それとバランスをとるように,目的は敵の王さんただ一人という明確で認識しやすい収束条件をもたせてあるので,劇的なクライマックスが期待できる。

なんとも,見事なルールなのである。

持ち駒ルールとニ歩禁

二歩の禁は,この「持ち駒ルール」のために必要になった。これは,明らかであろう。駒を打つことなければ,歩の性能から考えて,同じ筋に2枚以上の歩が位置することはありえない。

では,なぜ,このような禁手が必要なのか,考えて見たことがおありだろうか。

同じ筋に歩を並べることができると,守備が強力になりすぎるのである。

また,普段攻め筋を考える際に,歩の利く筋と持ち歩の数を考慮するのは当然であることからわかるように,攻撃力も強力になり過ぎるのである。

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使いにくい歩を,うまく使うことによって,盤上拮抗していた彼我の勢力に差がついていくのである。

ルール設定の際には,一番数の多い駒である「歩」をどういう性格に設定するかということが,そのゲームの面白さを大きく左右する。

「将棋は歩から」である。

その意味で,現代将棋のルール設定はまさに絶妙のものであると,常日頃から感心している。

試しに「ニ歩禁ルールなし将棋」を指してみればよい。珍しさから,あたらしい攻め筋,受け手を探し出した後は,すぐに飽きてしまうであろう。

利き所のない駒の禁

次に利き所のない駒の禁について考察しよう。なぜ,この禁が必要なのか。この禁は持ち駒ルールとは関係の無いように,一見思われる。しかし,本当にそうであろうか。

この禁手のおせわになった経験を持つ人は少ないであろう。あるとすれば,こんな場合ではないだろうか。

難戦の末,やっと入玉。これでやっと助かったと思ったら,敵さんは,生飛車で王手をかけてきた。なんだ,あきらめが悪い。こんなもん間駒すれば,はいそれまでよ,だ。ところが,ざくざくあると思っていた自分の持ち駒を調べてみると,これが,なんと歩と香車と桂馬ばかり。あわれ財宝を抱えて我が輩の王さんは頓死せり….. 。

つまり,この禁も「持ち駒ルール」と密接なつながりがあるのである。間駒で駒を打ちたい。しかし,二歩禁同様,無条件で許しては,守備力のバランスを崩す。そこで,この禁が作られたと推察できるのである。

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だが,諸君。ここでもうすこし深く考えてほしい。「持ち駒ルール」導入のために,利き所のない駒の禁をつくったとしたならば,なぜ,駒を打つ場合にだけ禁手としなかったのか。この疑問は,本稿を起こすきっかけの一つである。

持ち駒ルールが存在しなければ,この禁は不要ではないのか。誰も好き好んで,盤上の駒を動けない石にしようとは考えない。持ち駒を打つ場合は,先の例のようなことも起こりうるが,盤上の駒ならば成ることができるのである。

「戦闘において働きのない駒は存在してはいけない」といった,道徳論的な解釈が存在する。しかし,駒に意志があるわけでなし,将棋というゲームはすべての駒に100パーセント指揮官の意志が伝わるゲームである。

このルールの考案者,ゲームデザイナーはいままで述べたように非常に優れたバランス感覚を持っている。天才であるといっても良い。そして,大胆であるだけでなく,緻密である。決して,必要もないルールを観念的な理由で付け加えたりすることは考えられない。すべてのルールには明確な必要性があるはずである。

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それでは,駒が動けなくなってさえも成りたくない。そういう場合は,果たして実際にあるのだろうか。

結論は,ある。ただし,それはこのルール単独ではない。打ち歩禁のルールとの絡みで,あるのである。

図を吟味していただければお判りのように,打ち歩詰禁のルールとの絡みで,このルールは存在する。打ち歩禁ルールは当然持ち駒ルールがあっての存在であるから,結論として,「利き所のない駒」の禁は,持ち駒ルールの補助ルールであるといえる。

打ち歩詰の禁

打歩詰の禁。この禁も,いわずもがな,持ち駒ルールによって追加された補助ルールである。そして,これは,初心者にとってもわかりにくいルールである。

【場合1】時間差
歩を打った。守備の金が歩を取った。それを龍がとって詰め。これはよい。
【場合2】突歩詰
歩を手前に打った。敵さんがなにかした。先の歩を突いて詰め。これもよい。
【場合3】打歩詰
歩を打った。詰んだ。これは駄目。

この違いが初心者にはわかりにくい。いや,熟練者は場合わけに慣れてしまっただけであって,このルール自体が,わかりやすいわけではない。なんとも難しいルールである。

ゲームのルールは,わかりやすく単純であるほどよい。単純なルールで,複雑な内容を表現するのがよいルールだ。

それに,複雑なルールは,新しい参加者の間口を狭めることになるのである。ゲームの設計者にとって自分の設計したゲームが多くの人にとって遊ばれることは価値あることなので,めんどうなルールはなるべく入れたくないと考える。それなのに,あえてこのルールを導入する理由はなんであろうか。

そもそも,なぜ,歩を打って王さまを詰めてはいけないのか。

「寝返った駒に,しかも下っ端の歩兵に王さんを討ち取らせることはあまりにも非道」

このような,観念的な解釈がある。

しかし,この解釈は成立しない。

そもそも,このゲームデザイナーが,そんな観念的な理由でむざむざルールを複雑化しないであろうということ。

寝返った駒を同じ位(つまり性能ね)で使うということが,すでに大胆な発想なのである。この駒はもともと敵さんの駒だったなんてことを考えているのならば,この「持ち駒ルール」を発想することなど,望むべくも無い。

寝返った駒とか,下っ端とかというのなら,突き歩詰もよしとする理由がない。【場合1】をよしとする理由をつけることもつらいはずだ。

断言してしまおう。このような観念的な理由で打ち歩禁のルールは設定されることはありえない。

それでは,どのような目的が,この打歩禁ルールの設定にあるのであろうか。

合理的で明確な目的があるはずである。しかもその目的は,ルールの複雑化というデメリットに見合うだけの価値を持つものでなくてはならない。

打ち歩詰が日常の世界

筆者の貧弱な頭脳をこき使った結果,指し将棋に関しては,打ち歩詰を禁じる合理的な理由は存在しない。

だからこそ,先に紹介したような,観念的な解釈が生まれるのである。

初心者にわかりにくいルールであるが,わかっていなくても,始めはそんなに困ることもないルールなのである。困らないということは,さして重要でないということであろうか。

指し将棋において,打ち歩禁が勝負の分かれ目になることは確かにある。

だがそれは,ごくたまに起こることでしかない。ごくたまにしか起きないことであるから,最終盤,自玉が打歩で逃れることを読み切ったときには,「神の御加護」さえ感じてしまうのである。

ここで,ふとあることに気がついた。

「打ち歩詰」が,頻繁に起こる将棋があるではないか。

「打ち歩禁」なしには,構築し得ない世界が厳然と存在しているではないか。

詰将棋の世界である。

現在,詰将棋は新聞の片隅につつましげに存在しているだけと認識している方もいるかもしれない。詰将棋は指し将棋の実力向上のための練習問題にすぎないと思っておられる方も多いだろう。

しかし,その認識は間違っているといわざるをえない。詰将棋は指し将棋とは別の一つのしっかりした世界を構築しているのである。

江戸時代には時の将軍が,自作詰将棋の本を出版した。名人になるためには,詰将棋100番を将軍に献上しなければならなかった。

東洋文庫の「詰むや詰まざるや」を是非お読みいただきたい。

この詰将棋の世界では,打ち歩詰が日常茶飯事で起こるのである。

結 論

詰将棋の世界は,打歩禁ルールなしには,とても貧弱なものになってしまう。有名な「不成(ならず)」の手筋も,たいていは打ち歩禁ルールの賜物だ。「香先香歩」「不利間駒」「森田手筋」……どこかで聞いたことあるであろう。湯村光造氏は「歩詰手筋総まくり」という論文で,詰将棋の打ち歩詰関連の手筋を39に分類しているが,さらにまだまだ増えそうな勢いである。

そろそろ,本稿も核心部分にさしかかってきたようだ。学問を志すものは真理に対して忠実でなくてはならない。たとえそれが,世間一般の常識に反するものであったとしても,波乱を引き起こす危険をはらんでいたとしても,それは真理をまげる理由にはならない。

これまでの所を整理しよう。

  1. 現代将棋を構成するルールを分析すると,核心は「持ち駒ルール」にある。
  2. 「ニ歩禁」「利き所のない駒禁」「打ち歩詰の禁」は,この補助ルールである。
  3. この3つの補助ルールのうち,このルール成立の謎を解く鍵を握るのは「打ち歩詰の禁」である。
  4. 指し将棋において「打ち歩詰の禁」は合理的な理由を持たない。
  5. 詰将棋において「打ち歩詰の禁」はなくてはならないものである。

以上のことから,どのような結論が導かれるか。

「打ち歩詰の禁」は,詰将棋のために設定されたルールである。それは,とりもなおさず,「現代将棋」は詰将棋のために設定されたルールであることを意味する。

なんということであろう。詰将棋は指し将棋からうまれたのではなく,逆に指し将棋が詰将棋から派生したのである。

補足

 

熊さん 詰将棋も手筋が出尽くしてしまった感があるねぇ。
八さん まったくだ。
熊さん これからは,ばか詰(help mate)や,次の一手系統のパズル性を追求するしかないのかね。
八さん いや,おいらにいい考えがあるんだ。ちょっと聞いてくれねぇか。
熊さん ほぉ,いったいどんな名案があるというんだい。
八さん まず,駒を整理するんだ。派手な駒はばっさり捨ててしまう。基本は小将棋。それに中将棋からは,飛車と角だけを持って来る。
熊さん ありゃま。ずいぶんすっきりさせちまうんだね。それじゃ,太子生き返りの手筋とか使えなくなってしまう。
八さん 確かにその通り。でもね,詰将棋の一番の基本手筋を考えるんだ。
熊さん 一番の基本かい。そりゃぁ,捨駒の手筋だろうねぇ。駒を捨てて,一見損をするようだが,みごとに敵の王さんを捉える快感。これが詰将棋の基本だ。
八さん そうだろ。特殊な駒を増やして,珍手筋を開発するのはすぐ行き詰まるものさ。そこで,おいらは一番の基本の捨駒の手筋を発展しやすくなるルールはないか,こう考えたわけさ。
熊さん 捨駒の手筋を発展させるルール??いったいどーゆーこっちゃ?想像もできないぜ。
八さん いいかい。捨駒っていうと,ここにある駒を,すーっと動かして敵に取らせることだ。
熊さん そんなこと知ってらい。あたりまえじゃねぇか。
八さん まぁ,黙ってお聞き。
 捨駒手筋がすたれたのは,捨てる駒がここに見えているからさ。
熊さん 見えてるって,あたりまえだい。なかったら,どうやって捨てるんだい。
八さん そこが新ルールさ。見えない所から,突然,駒を捨てることができるようにルールを作るのさ。
熊さん へぇ,そいつぁおもしろそうだね。どんなルールなんだい。
八さん 持ち駒ルールと言うのさ。
八さん いいかい,この持ち駒ルールを導入するには,一番多い駒である歩の力を上手にコントロールしないとゲームバランスが悪くなる。そこで,ニ歩の禁を補助ルールとして採用する。これで,新ルール完成だ。
熊さん ちょっとまった。確かに,持ち駒ルールはおもしろい。詰将棋の世界がぐんと広がる予感がするぜ。でもね,せっかくだから,もう一つ細工しておこうぜ。
八さん そうだね。パズルとして発展させる鍵は,なにか障壁を設定することだ。詰めるときに,一つこういう詰め方はいけないと設定しておけば,その状況を打開する手筋,回避する手筋,誘致する手筋が発展する。
熊さん 使うとすると歩しかないな。となると……
八さん 歩を打って詰めてはいけない。これしか考えられない。
打ち歩詰の禁だな。

補足2

現代でもそうであるが,さまざまな新ルールを,詰将棋作家達は実験している。そして,その中から,これは指し将棋にしてもおもしろいといった新ルールが生まれるかもしれない。

最後に,もう一つだけ補足しておこう。現代将棋最古の文献は,詰将棋の本なのである。

この事実を謙虚に受け止めれば,詰将棋のほうが指し将棋より古い歴史を持つことは明らかなのである。

むろん,補足1でも書いたように,詰将棋の発生は指し将棋としての中将棋の伝統の上にある。

また,この小文は,詰将棋と指し将棋をなんらかの比較にかけようといった趣旨とは無縁である。

あとがき

この論文は1995年4月1日にネットとらふに於いて発表された。将棋界の歴史を書き換えることになるであろうこの論文は草の根ネットの片隅にひっそりと公開されたのである。

4月1日,この偉大な論文が発表された日を諸君は決して忘れてはならない。

投稿者 kazemidori : 1004年08月22日 18:01

コメント

初めまして、貴君の論文を興味深く読みました。私は指し将棋ファンで、将棋に関する話題は興味の範囲で読んでおります。但し気まぐれな性格のため、系統だって読むことはなく、従って将棋に関する知識は赤ん坊程度です。さて、貴君の「将棋の持ち駒ルール」は詰め将棋から派生したという意見ですが、異論を唱えます。もっとも、私の異論は根拠はなく、私の想像のみです。将棋のルーツは、インドのチャトランガが中国、もしくは東南アジアに渡り、それから日本に伝来したというのが通説になっています。チャトランガ、東南アジア、中国の将棋は持ち駒ルールでないことから、日本に伝来した初期は持ち駒ルールは無かったと考えるのが自然でしょう。そのころは、まだ貴族が隆盛を誇っており、囲碁が占星術の道具として用いられていた時期ではないかと推察されます。将棋は雅な貴族のゲームとしては血なまぐさく(相手の駒を取る=殺人のイメージか)、あまりおおっぴらに遊技されてなかったのではないかと思います。そこで、将棋を人前でもできるようにルールを持ち駒ルール(相手の駒を取る=捕虜)にしたのではないかと思うのです。これは、あくまで想像にすぎません。ただ、私にとってはどちらでもよいのです。色々な人から、色々な意見や見方が出るのが楽しいだけなのです。

Posted by: kosei69 : 2006年03月13日 12:54

長文のコメントありがとうございます。
囲碁が占星術ですか。それで19^2=361…約1年なのかな?

Posted by: 風みどり : 2006年03月15日 20:53

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