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心ならずも芸術作品

易しい5手詰を急造した。

打った銀が邪魔になる…誰もが知るあの古典5手詰のリメイク。
24銀、14玉、13銀成、同香、24馬迄
お目汚しで申し訳ない。
で、なんのためにこんな図を出したか。
無駄合概念が詰将棋の成立にいかに重要かと言うことを再認識していただくためだ。
5手の作意を成立させるためには、2手目22玉の逃げを88馬迄3手詰と数えて貰わなければいけない。

しかし先手は持駒を使って良いのに後手は使ってはいけないとは理不尽だ。
後手は最長になるように手を選ぶというのが大原則だから88馬に77歩、同馬、66歩、同馬、55歩、同馬、44歩、同馬、33歩、同馬迄。
13手。
13手駒余りの不完全作である。
この順を「ないこと」にして銀を捨てる5手詰を作意と認めることは本質的に妙手説と変わりがない

妙手説とは「作意が至高」ということだが、それでは解答募集問題として出題するには正解に客観性がなく不適当と「攻方最短・玉方最長」とルールが変更になったと聞く。
しかし持駒ルールと玉方最長は真っ向からぶつかる。

そもそも「この手順をみてくれ」と始まった(と断言しても良かろう)詰将棋を無矛盾なパズルにするのは難しいのだ。

心ならずも芸術作品というのは以前に書いたとおり、パズルを目指しつつも作者の表現も捨てられない(ただ選択肢が多いだけの難解作をあなたは評価するか?)詰将棋についてのオイラの認識だ。

問題は持駒ルールにあるのだ。
この詰将棋を面白くする特殊ルールが、詰将棋の論理的整合性を阻害する。
「無駄」というのは手数を伸ばすのに無駄なんじゃなくて、結局は作意にとって無駄なのだ。
簡単に言えば「こんな変化、詰むに決まっているだろ」ということだ。

では、どうしたらよいのか。

ひとつはTETSUさんの推奨する「使用駒制限」だ。
間駒されて不都合ならば玉方に駒を持たさなければよい。
「玉の持駒は残り駒全部」を捨て去れば、無駄合概念はなくしてもなんとかなるかもしれない。
ただし色々な合駒の変化を楽しむことも出来なくなる。

現実的には、作者の主張をもっと尊重すれば良いと考える。
これこれこういう考えで、この合駒は無駄だと作者が主張したら、それは排除するのではなくどんどん発表の道を開くべきだと思う。
現状復帰型の無駄合もその作品内で矛盾(ある場所では無駄合とし、別の所では有効合とする)がなければ、認めたい。

作品の評価は、解いた人・鑑賞した人がなせばよいのだ。
つまらなかったら、自然に忘れ去られる。
それで良いのではなかろうか。


だらだらと書いたが、以前書いたことの繰り返しばかりで新しいことが何もないな。
ま、いいか。

いまさら詰パラ11月号

儲からないけれど仕事が忙しくて、ついついここを放置してしまった。
いまさらだけど、11月号の宣伝だけでも書いておこう。

いや、それにしても遅いか。下手したらそろそろ12月号が届くからなぁ。

大学院は高木秀夫が27年間温めたという作品「舞」と、添川公司、在庫最後の1作「奇兵隊」。

奇兵隊って桂小五郎だったっけ?と思って調べたら、高杉晋作だった。
「奇兵」というのは「正規兵」に対応する言葉らしい。

でも「兵」という漢字は本来「武器」という意味だから、「変わった武器」と読むこともできるなぁ。

「STARSHIP TROOPER」の結果稿に対する反応がネットででてきた。
動向を見守りたい(^^;

いや、オイラ自身は「詰将棋は芸術である」と思っていますので、あまり規約について論議するのはしっくりきません。
金子さんに全部責任押っつけてお任せしたい気分です。(無責任だなぁ)

2001年の詰パラを読む

…が、難しい。

いえ、読みたかったのは2001年3月号の安江論文「古時計は回りはじめた」なのだが、その反論やらなにやらが4月号以降にも載っていて、なかなか読み終わらない。(教えてくださった蛙さん、ありがとう!)

平行してネット上でもMLで議論がなされていたようで、このログを入手することは可能でしょうか。
もし、くださる方がいらっしゃったら感謝します。

なんで急に規約について勉強しているのかというと、解答審査基準について考えなくてはいけない局面を迎えてしまったからだ。

基本的に採点は「厳しく」と考えている。遊びは真剣なほど面白いから、と書いた…はずだ、どこかに。

ところが、今回採点をしていて、これは正解扱いにしたいなと思われるケースにぶつかった。

採点は「厳しい」なら厳しく、「甘い」なら甘く貫き通すのが望ましい。
判断がその都度ブレるのは不信感を招く。

しかし、ただ頑なに貫くだけというのも馬鹿である。

そこで、今回信念を枉げて甘く採点する、その理論的根拠を求めて勉強しているわけだ。

遅いっていうのは、毎度の事ながら禁句ということで。

いや確かに遅いのだけれど。わかっているので言わないでということです。
担当を引き受けてとりあえず2009年の長篇作品は全部並べた。
順次、2008年、2007年と遡っていこうという予定だったが、ちっとも進んでいない。

余談。
2001年11月号に首さんのこんな嘆きを見つけた。

☆8月号には意識的に変化や紛れの多いものをと思っています。
お盆休みでゆっくりと云う選者の狙いですが、
夏向きではないといつも叱られている。

オイラもまったく同じ事考えて8月号に難しいの持ってきたら、同じお叱りをいただいた。

10月号の「パソコン奮戦記」も心に沁みる。