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好形作ならではの危険(2010.4.11)

好形作ならではの危険—それは同一作の恐怖だ。
同一作でなくても類作の危険率は高い。

詰パラ2010年4月号で伊藤和雄作に対して厳しい意見を書いた。
ちょっと補足しておく。

まずは図面から。
一番古いのが二上九段作。

二上達也 将棋世界1987.12

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詰将棋雑談(24) ABC評価についての考察

詰パラで解答するときにABC評価をつけることが多い。

これが考えてみると難しい。

今月の五題の内でこれが一番いいからA、これは一番面白くないからC、残りはBだな。

こんな感じで相対評価でつけると、何月号に載ったかで評価が違ってしまう。
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とことんカックロ2

やっと終了。

よかったのは

  • #35 ねこあい護家
  • #44 トコトコ
  • #75 ねこあい護家
  • #87 我ヒトにあらず
  • #89 さぶろう
  • #94 我ヒトにあらず

と、一応メモしておくけど、おいらはカックロの解答者として経験も少ないし、まったく客観的な評価ではない。

詰将棋でもそうだけど、解いているうちに解答者が上達しちゃったりするから、後ろの方は厳しい評価になったりする。
「新しい試み」というのも知識があって初めて評価できる項目だ。
難易度もその作品とつきあう時間が長くなるからそれだけ愛着も増えるけど、これもその時の体調などによって大きく変化する。
眠い時に解いたのか、電車の中で解いたのか。
おいらは少し酒が入っていた方が解けるけど、はいりすぎると今度は解けなくなる。

だから結局は、解答者と作品は「どう出会うか」で印象が変わる。

良かった作品のメモは、つまりおいらと幸運な出会いをした作品ということだ。
ま、なんでも大抵のことはそういうことだよね。たぶん。

詰将棋を語る言葉を増やそう(番外編)

おみくじの順位は次のように決まっているらしい。

  1. 大吉
  2. 中吉
  3. 小吉
  4. 半吉
  5. 末吉
  6. 末小吉
  7. 小凶
  8. 半凶
  9. 末凶
  10. 大凶

では詰将棋の解説で最後の最後に解説者がその作品の評価を総合的にまとめて語る「※作」というアレ。
アレはどのような順位なんだろう。
思いつくまま書いてみる。

  1. 神作
  2. 名作
  3. 傑作
  4. 快作
  5. 好作
  6. 凡作
  7. 駄作
  8. 愚作

会心作は作者からの言葉なので入れなかった。

他にどんな言葉があったっけ?
またはこんな言葉使いたいとか、順位も含めてコメントを待つ。

おお、さっそくのコメントありがとうございます。
そうだそうだ。佳作。秀作。使いますねぇ。

力作と苦心作は作品評価でなくて作者評価、製作過程評価なのですね。なるほど。
(なんだか、こんなこと書いていると、自分の首を絞めるような……)

改訂版、とりあえず、いれてみよう。

  1. 神作
  2. 名作
  3. 傑作
  4. 佳作
  5. 秀作
  6. 快作
  7. 好作
  8. 凡作
  9. 駄作
  10. 愚作

さらに改訂版です。

  1. 名作
  2. 傑作
  3. 秀作
  4. 佳作
  5. 快作
  6. 好作
  7. 良作
  8. 並作
  9. 凡作
  10. 駄作

別の観点からの言葉として

  • 会心作
  • 力作
  • 苦心作
  • 水準作

詰将棋を語る言葉を増やそう3

「作者の狙いのこもった紛れ」といった手順ではなく、作者が誘導したかった局面に名前をつけてもいいかと思っている。

例えば自作であげるなら

この作品における次の局面に名前をつけたい。

これは従来「失敗図」と呼ばれているものだ。
解答者にしてみれば失敗なのだろうか。
否である。
この局面に辿り着くことによって、作者の狙いを知ることができるのだ。
仮にパソコンで詰将棋を解かせて手順を鑑賞しただけでは、この局面に至ることはない。
かつて、パソコン解答に関して、「詰将棋鑑賞に使うにはまだソフトの機能が足りない」と書いたのはこういうことを言いたかったのである。

むしろ「テーマ図」とでも呼んでみたらどうだろう。

作意の目指す局面は次の図だ。

違いは持駒の1歩。

さきの局面に辿り着くことで作者の狙い「いかに1歩を入手するか」が見えてくるので「テーマ図」である。

自作ではしょぼいので、この稿のきっかけの一つである巨椋鴻之介の「禁じられた遊び」からとびきりの名作を紹介しておこう。

この作品のテーマ図は

あと1歩あれば詰む。すなわちこの名作も「どうやって1歩を入手するか」がテーマなのである。

どうでしょう。なんか良い言葉がありませんでしょうか。
「テーマ図」は日本語として変なので「主題図」の方がいいですかねぇ。
それとも仏蘭西語であつらえますか。
どなたか言い知恵を貸してください。

詰将棋を語る言葉を増やそう2

巨椋鴻之介が「禁じられた遊び」から新しい詰将棋を表現する言葉をメモしておこう。

揮発性の間駒—すぐ攻方に取られることだけを考えて選べばよい間駒
粘着性の間駒—守備駒として盤面に残ることを考慮して選ばなくてはならない間駒

フィギュール(figure)—中長篇の一部の華やいだ連続手

そうか、仏蘭西文学の先生なので仏蘭西語がこぼれ落ちてしまうのですね。
うまく使えるかなぁ。
というか、フォルムはまだわかりますが、フィギュールはまだ理解が浅いように感じています。

私自身がいま一番欲しいと思っている言葉は「紛れ」に関する言葉だ。
作者の目的意識が込められた紛れ」という意味の言葉が欲しい。
「紛れ」という言葉では足りないので、今までにも「検討用紛れ」などという言葉が使われている。
しかし「検討用紛れ」は使いたい言葉の補集合を表した言葉だ。
本質である部分を直截に表現する言葉が欲しいのだ。

プロブレムから「トライ」という言葉を借りてくるのも手だが、新しく仏蘭西語あたりでどなたかいい言葉を作ってくれませんか?

詰将棋を語る言葉を増やそう

詰将棋の用語を増やしたいと思っている。

言葉がないということは概念がないということで、詰将棋を語る概念をもっと増やしたいと思うのだ。

巨椋鴻之介が「禁じられた遊び」の中で、いくつかの新しい言葉を提起している。
その一つが「フォルム(forme)」だ。

詰将棋の時間軸上にさまざまな手(出来事)が描き出すカタチを、とくにそれが快感を与えるか否かという見地から見る場合、フォルムという語を用いる。

初形の駒配置を2次元の世界観でとらえたのが「好形」という言葉であるが、3次元方向(現実の世界では時間軸は4次元だけれど)で捉える。

これまでの言葉では「(手順)構成」とか「ストーリー」という表現しかなかったが、「快感」に特化した用語が「フォルム」というわけだ。

しかし、この言葉、いまだパラの解説などで見たことがない。
そのうち院で使ってみようかと思っている。

引用だけでは終わっては何なので、私の作った新しい言葉も一つ披露しておこう。

たくぼん家のトイレットペーパーフォルダー意味は本家を参照のこと

あ、全然私が作った言葉ではありませんでした。失礼しました。

好形作ならではの危険

好形作ならではの危険—それは同一作の恐怖だ。
同一作でなくても類作の危険率は高い。

詰パラ4月号で伊藤和雄作に対して厳しい意見を書いた。
ちょっと補足しておく。

まずは図面から。
一番古いのが二上九段作。

二上達也 将棋世界1987.12

そして次にでたのが次の妻木貴雄作。

妻木貴雄 近代将棋2006.12

そして最後が詰パラ2010年1月号に発表された伊藤和雄作だ。

伊藤和雄 詰パラ2010.01

奇しくも2手ずつ逆算した格好になっている。

実はまんなかの妻木貴雄作を近代将棋で解説したのが、私だった。

その際はこのように書いた。

 詩やメロディが一部似ているからと「盗作騒動」が時折起こる。
故意なのか、それとも偶然の一致か。醜い罵りあいが報道される。

詰将棋は限られた駒と盤面でなす遊びであるから、似たような配置・手順が出現する事も間々ある。
あまり目くじらを立てていては選題もままならなくなるという事情もあるようだ。
短編で駒数の少ない作品の場合など、推敲を尽くしたが故の必然の一致と言いたくなる様なケースさえある。

それゆえか詰将棋では「盗作」という悪意の含意された用語は使わず、「類作」「同一作」といった用語を使う。
それでも先行作があった場合、創作の苦労が水泡に帰するのは同じだ

 2番山腰雅人氏作は三手目以降同一手順作があった。
将棋ジャーナル昭和62年5月号原利和氏作。
また7番妻木貴雄氏作も二手進めた局面が将棋世界昭和62年12月号の二上達也九段作と一致していた。

皆様、御寛恕の程よろしくお願いいたします。

妻木作の付加した2手は明らかに価値ある2手だ。

  • 捨て駒である。しかも大駒。
  • 初手が絶対でなくなり難解性が増す。
  • 13玉の変化で作品に膨らみが増す。

しかし、二上九段がこの逆算に気付かなかったかというと、そんなことはなく気付いていた可能性は少なからずあるとも思えるのだ。
では、なぜ妻木作の形で発表しなかったのか。
考えられる理由としては

  • 解答者を増やすために手数を長くしたくなかった。もしくは制限があった。
  • 解答者を増やすために、あえて初手は見えやすい手で始めたかった。

などが考えられる。
あえて易しくする場合だってあるということだ。
難しくするだけが能ではない。

今回の場合も、妻木さんが伊藤和雄作の図面を考慮した可能性はやはり少なからずあると思う。
そして、駒取りの2手を入れる価値はないと判断したという可能性だ。

初手21角が11玉で切れると見きれる人にとっては、23金は必然手。
ならば、あえて駒取りから始める理由は形式美以外にない。
その形式美をどの程度評価するかという価値観の問題だ。

そういったわけで、次のような記述になった。

おいらの感覚では新作としての発表は厳しいと思う。
サロンでの紹介やアンデパンダンでの出題がふさわしいのではないか。

ただ、これは勿論、事前に類作に気がついた場合の話で、いわば仮想の話であります。

さらに蛇足。
詰将棋にあまり詳しくない方のために付け加えておきますと、妻木貴雄さんも伊藤和雄さんもともに実力も実績も豊富な方で、これらの作品は偶然の一致だということは前提での議論でした。

Twitter / ヒッポ: 大学院の解説読んだ

詰パラ4月号の感想をクリップ。

大学院の解説読んだ。1の解説は歯切れが悪いように感じる。担当者の苦労がしのばれる。2は力作だけに解説にも力が入っている。このアイデア、思いついても実現するのは容易ではないはず。TTTでも見せる作者の技量とパワーを感じる。
引用元: Twitter / ヒッポ: 大学院の解説読んだ。1の解説は歯切れが悪いように感じ ….

谷川作の解説はもっと頁があったらもうちょっときちんと書けたかも。まぁ、言い訳ですが。
詰将棋の良さってなんだろう。これが、今持っているテーマの一つです。
高坂さんもたまに書くけど、流れていく手順の心地よさ。
これをもっと分析してみたい。
コンピュータで詰将棋を解けば所詮はどれも必然手の連続に過ぎない詰将棋の作意。
それなのに、解答者に伝わるものが違うのはどういうことなんだろう。

なかなか大学院の作品のテーマにはなりにくいんだけれど。谷川作はまさにそういう分析できていなタイプの作品なのでした。
歯切れが悪いのは、オイラの頭の中が未整理なのがソノママでたということでした。

大学院・・・楽しみだ、出題文が添削されるとは風さん過激ですねえ(笑)
引用元: たくぼんの解図日記: 詰パラ4月号.

別の方の非公開日記では「オッサンのギャグだ」と厳しいご意見。読んでるアナタだってオッサンなんだから、丁度いいじゃんw

いや、撰題の文章はともかく、作品は凄いでしょう。解かなきゃ損です。今月も!

さて、昨日書いた締め切りは…一つも守ることが出来なかった。我ながら情けないね。まぁ、歳なんで無理はせんのです。

ここにもカウンタを設置した。サイドバーにつけたかったがうまくいかなくて、一番最後にくっつけた。
ただ、初期値が設定できないみたいだ。せっかく40万以上たまったのにな。
また、1からやりなおしです。

自作を貶されたら熱い

「全体に公開」設定だったので引用してもかまわないと判断。

 
賞取るくらいのスキルがある方は、
文句を言う前に、
作ってほしいし、
見せてほしい。

そして、選題する側に周って、
ただ難解なだけな作を、
拒否してほしい。

今回の作、cだと言う方がいましたが、
自分の中では会心の逆算でした。
(解答選手権的には)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1445125386&owner_id=19098301

これは解答選手権に作品を提供してくださった方のmixi日記からの引用です。
丹精込めて育てた自作を貶されたら熱くなるのはわかりますが、オイラの質問に対する回答というにはちとずれているようです。
ですが、せっかくの作家サイドからの貴重な反応なので取り上げさせてもらいまっせ。

第一段は意味不明ですが、解答選手権に向いた作品の見本を見せろということなのでしょうか。
それでしたら、過去問の上田・若島作を見ればよいでしょう。
かつて、これらの作品を評して「難しいだけ」と書いている方がありました。
オイラにはどこをどう鑑賞したらそのような感想が産まれてくるのか理解できませんでした。
ところが時を経た今、「解き難いだけ」という評が妥当でないと言い切る自信がオイラにはありません。

第二段はさらに意味不明ですが、撰題する実行委員会に文句を言えよということなら、まったく同意見です。握手。

だからよい投稿がなかったのなら、上田・若島・柳田・橋本哲・角・小林敏樹といったメンバーにがしがしノルマ与えて彼らの新作を出題して欲しいと願うものであります。
ところが若島委員長の見解は以下の通り。

チャンピオン戦が難しすぎる、というご批判があるのは充分承知。でも、この匙加減には、複雑な要素がからんでいるのです。作品公募をしている手前、スタッフの作品だらけになってしまうことだけは避けたい、というのが委員長としての判断。作家のみなさん、楽しい作品の投稿をぜひ!  http://twitter.com/propara/status/10931495333

ちなみにオイラは「難しすぎる」と批判はしていません。
去年の真Tさんの作品なんかオイラには難しすぎるけど、すばらしい傑作だ。特に修正図は。

それはともかく、「スタッフの作品だらけ」を避けたいという判断は理解できますが、第1回から書いているようにオイラは上田吉一(と若島正)の伝統詰将棋が年1回、誰よりも先に解くことが出来る点がこの企画の最大の売りだと思っているので、全作投稿作という事態は勘弁してください。お願いします。

さて第三段。
1行目はどんな作品でもCをくれる人はいることは当然なのでいいとして、問題にしているのは最後の2行。

自分の中では会心の逆算でした。
(解答選手権的には)

つーか、最後の1行か。
作品集に載せる際にはまた別の仕上げにするのでしょうか?

えーと、明日はやいのでつづきはまた。