「1_詰将棋」カテゴリーアーカイブ

詰将棋入門(44) 銀のパズル

篠原昇といえば,まず思い出されるのは短篇名作選に載っていた次の図だ。

私見だが,このような好形で筋の良い好手順の作品を作る方は,棋力が無茶苦茶高い。
根拠は,ない。

今回取り上げるのは上図ではなくて,下の図。
パラで30名の誤解者を生んだというので慎重に。

篠原のぼる 詰パラ 1973.1


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詰将棋のルール論争(4) 余詰の禁止(つづき\(^3\))

1 詰将棋の範囲

余詰=不完全ということですから、余詰の範囲を定めると言うことは詰将棋の定義を定める重要な要素であるわけです。

こんなツイートみつけました。
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詰将棋創作講座を読む(3) 村山隆治「詰将棋教室」

同じ村山隆治先生の「詰将棋教室」を取り上げる。
「詰将棋の考え方」が1950年。
「詰将棋教室」は1966年。金園社。
この本には私もお世話になった。
私が持っているのは1978年の22版。
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詰将棋雑談(10) 「幻影」と「看寿頌」の同時発表

ちょっと長いのだが巨椋鴻之介「禁じられた遊び」から引用する。
「看寿頌」の解説からである。

まず私の作は、遅くも昭和33年のうちにほぼ今の形に達していたのだが、図巧1番の影響が濃厚すぎる(だから後年「看寿頌」などとフザケた名をつけた)のと後半急に力が抜けたようになる点が気に入らず、そのまま眠り続けていたものである。
二十年後の昭和52年、私は森田正司氏のガリ版誌「詰研会報」で参考図(略「幻影」)を見て驚いた。……(中略)……この基本構造は、飛打が上からか手前からといった差異を越えて、拙作(註「看寿頌」)のものと同一である。 続きを読む 詰将棋雑談(10) 「幻影」と「看寿頌」の同時発表