詰将棋入門(186)で「無双91番」を取り上げた。
一番弱い駒である歩を、攻方の駒2枚を犠牲にしてわざわざと金にしてしまうというのだから面白い。
面白い作品は後生の作家の創作意欲を刺激する。
それが「模倣」といわれるか「発展」といわれるか、それは鑑賞者次第。
作家は作りたくなってしまうのである。
九代大橋宗桂『将棋舞玉』第96番 1786
宗看が桂-馬で歩を成らせたのに対し、本作は桂-角。
馬をわざわざ取れるようにするという驚きはないが、歩をと金に換えるという狙いはくっきりしている。
19桂は18に角を打つ余地を作らせるための捨駒で、これはこれでアイデアであろう。
T-Baseのファイルには「無双91の改作」と書かれているが、それはちょっと可哀想な気がする。
桑原君仲『将棋玉図』第15番 1792
これはきちんと宗看の狙いを実現している。
98桂は退路封鎖の捨駒で、なるほどこれもアイデアだ。
質駒作成の64飛も効いている。
このように易しいがきちんと狙いを実現している『玉図』は楽しめる作品集なのでお薦めだ。
墨江酔人 近代将棋1985.4
アイデアとしては上の宗桂と君仲を組合わせたような感じ。
しかし強力な持駒には無理があるようで3手目75金以下の余詰がある。
修正図が『将棋墨酔』拾遺第20番に収録されているが、歩成らせではなく銀成らせになっている。さらに余詰があるので図だけ紹介するにとどめる。
駒場和男「春雷」『ゆめまぼろし百番』第77番 詰パラ1980.1改
2枚角を持駒にして97角打は迫力がある。
意味付けは86では近すぎ、97でも良いのは96を空けるためで大橋宗桂と同じだ。
発表時は97角からはじまる19手詰。
近将連載で取り上げたときはまた異図でいくつか変遷があるようだ。
『ゆめまぼろし百番』に収録された図は63銀不成、53玉の逆算が追加されている。
変化を2手長に納めるのに苦労したということが書かれているが、詰パラに発表したときは4手長があり、「現規約上許容範囲内にある」と主張した。
この頃駒場氏は柳田さんや上田さんに噛みついて諸氏から猛反撃を受けていた頃だ。
そこで2手長に収める努力をしたということか。
たださらっと柿木将棋に解かせたところ2手長には収まっていない気配がある。
詳しく調べてみないとわからないが。