詰将棋入門(76)で伊藤看寿の『図巧』第20番を取り上げた。
伊藤看寿 『将棋図巧』第20番 1755
この作品の6手目だが
なぜ67馬ではないのだろうか。
それは9手目の79馬を同馬と獲るためと考えられる。
つまり6手目67馬だと、79馬に対し、68歩と合駒をすることになる。
68同馬、同馬となるので、玉方にしたら攻方に歩を1枚余分に渡してしまう。
78馬はその不利を避けた応手だ。
これっていわゆる無駄合概念と同じ考え方ではないだろうか。
無駄合概念は、玉方のキモチになったとき「ただで取られて攻方の持駒を増やすだけでは不利だ」というのが原始的なスタートだろう。
無駄合を使わないで(つまり駒得を無視して手数のみで)考えれば、67馬の応手だと2手伸びて駒が余る。
これは変長作品だと言うことになってしまう。
これは意見が分かれるケースだな。
アンケートをとってみよう。
図巧#20の6手目78馬という応手は……
— 地蔵菩薩 (@kazemidorinew) October 18, 2020
小林さんからコメントをいただいてどひゃーとなった。
67馬だと歩が入るので収束33龍、21玉、22歩で早い。(なので33龍、32合、23桂になるが同じこと)
普通に割り切れていました。
これは変長ではありません。無駄合概念も使わずに割り切れていると判明しました。
話は変わるが、このエントリーの元となるエントリーに大橋さんからコメントをいただいた。
4三香成以降5一玉と逃げるのが作意と思われます。
その証拠に野田市立図書館の『將棊圖巧』(刊行年:文政辛巳(1821年)夏)の解を示してこられた。
詰パラ2013.1に大橋さんは次のように書いている。
後世、商業出版者が献上図式を再刊する場合は解答をつけて出版するのが常であり、その解答はほとんど例外なく後世の研究家が作ったものであります。これらの解答を仔細に検討すると、他人が作っただけに、いろいろな誤りやこじつけが認められます。
それなのに、まさに後世に刷られた本の解答を証拠として出すのはいかがなものかと思うが、対抗するには国立公文書館にある『象棋圖式解』を確認するしかないと思い、先日行ってきた。
『象棋圖式百番奇巧』はネットで閲覧できる。しかし『象棋圖式解』は出向かないと閲覧できないのだ。
予想していたものより、大きいサイズだった。(A4より大きい)
なぜ、この『象棋圖式解』が看寿の作意だと見なされているかを確認しよう。
浅草文庫と印が押されている。
浅草文庫はwikipediaによると明治政府が作った図書館で、旧幕府の紅葉山文庫本の蔵書を引き継いでいる。
そして紅葉山文庫は幕府が購入したり献上された本を保存した図書館だ。
そこに図巧の解答のみの手書きの本があれば、これは献上されたものの可能性が高い。
すなわち伊藤看寿の作意に違いないだろうということだ。
(研究者だったら『御書籍来歴志』を確認するのだろうが……)
wikipediaに
蔵書の保存状態は極めて良好で、発刊当時の書物の雰囲気がそのまま保存された。
とあったが、本当に綺麗な本で驚いた。虫食いも僅かだ。
ご覧のように、43香成に31玉となっている。
だいたい打った飛車の原型消去を変化にしてただの追い詰を作意にするわけがないのだが…。
ついでに大橋さんのために第93番の作意も写真に撮ってきたのでご覧ください。
続いて大橋さんから詰将棋入門(77)の図巧第27番も「誤図である」と指摘を受けた。
この国立公文書館の図巧は版本だが版元の名前などの記載は無く最終頁は次のようになっている。
私は研究者ではないので詳しい方に教えていただきたいのだが、恐らく幕府の記録である『御書籍来歴志』か伊藤家の記録に1755年に献上したという記録があり、そしてこの本に宝暦乙亥(1755年)とあるので、この本が献上された本だろうという判断になっているのではないだろうか。
大橋さんから第27番の作意も確認したいとのことなのでご覧ください。
5手目は「73金」となっています。
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67馬でない理由。
79馬に68歩と合駒をする場合は、収束の33飛成、21玉の局面で歩が使えるので早いと思います。よって最長は33手。
だから、余分な歩を渡さないために78馬限定と思ってました。
今調べてみて、57桂合されると使い道がなくて無駄合か?と思ったら、最後の最後で23桂、21玉に33桂打まででやはり早いです。最長は33手。
結局、余分な合駒を渡さないための78馬限定、が正しいのではないでしょうか?
たしかに、仰るとおりですね。
収束、51玉があるから割り切れてはいないんだけど、67馬は割り切れているんですね。
本文に追記しておきます。