他に抜かしてはいけない作品はどれだろう。
ちなみにT-Baseでの検索結果はこちら。
あ、もちろんT-Base未収録の岡村さんの作品は当然なのですが。
Tweet「作者の狙いのこもった紛れ」といった手順ではなく、作者が誘導したかった局面に名前をつけてもいいかと思っている。
例えば自作であげるなら
この作品における次の局面に名前をつけたい。
これは従来「失敗図」と呼ばれているものだ。
解答者にしてみれば失敗なのだろうか。
否である。
この局面に辿り着くことによって、作者の狙いを知ることができるのだ。
仮にパソコンで詰将棋を解かせて手順を鑑賞しただけでは、この局面に至ることはない。
かつて、パソコン解答に関して、「詰将棋鑑賞に使うにはまだソフトの機能が足りない」と書いたのはこういうことを言いたかったのである。
むしろ「テーマ図」とでも呼んでみたらどうだろう。
作意の目指す局面は次の図だ。
違いは持駒の1歩。
さきの局面に辿り着くことで作者の狙い「いかに1歩を入手するか」が見えてくるので「テーマ図」である。
自作ではしょぼいので、この稿のきっかけの一つである巨椋鴻之介の「禁じられた遊び」からとびきりの名作を紹介しておこう。
この作品のテーマ図は
あと1歩あれば詰む。すなわちこの名作も「どうやって1歩を入手するか」がテーマなのである。
どうでしょう。なんか良い言葉がありませんでしょうか。
「テーマ図」は日本語として変なので「主題図」の方がいいですかねぇ。
それとも仏蘭西語であつらえますか。
どなたか言い知恵を貸してください。
巨椋鴻之介が「禁じられた遊び」から新しい詰将棋を表現する言葉をメモしておこう。
揮発性の間駒—すぐ攻方に取られることだけを考えて選べばよい間駒
粘着性の間駒—守備駒として盤面に残ることを考慮して選ばなくてはならない間駒
フィギュール(figure)—中長篇の一部の華やいだ連続手
そうか、仏蘭西文学の先生なので仏蘭西語がこぼれ落ちてしまうのですね。
うまく使えるかなぁ。
というか、フォルムはまだわかりますが、フィギュールはまだ理解が浅いように感じています。
私自身がいま一番欲しいと思っている言葉は「紛れ」に関する言葉だ。
「作者の目的意識が込められた紛れ」という意味の言葉が欲しい。
「紛れ」という言葉では足りないので、今までにも「検討用紛れ」などという言葉が使われている。
しかし「検討用紛れ」は使いたい言葉の補集合を表した言葉だ。
本質である部分を直截に表現する言葉が欲しいのだ。
プロブレムから「トライ」という言葉を借りてくるのも手だが、新しく仏蘭西語あたりでどなたかいい言葉を作ってくれませんか?
Tweet詰将棋の用語を増やしたいと思っている。
言葉がないということは概念がないということで、詰将棋を語る概念をもっと増やしたいと思うのだ。
巨椋鴻之介が「禁じられた遊び」の中で、いくつかの新しい言葉を提起している。
その一つが「フォルム(forme)」だ。
詰将棋の時間軸上にさまざまな手(出来事)が描き出すカタチを、とくにそれが快感を与えるか否かという見地から見る場合、フォルムという語を用いる。
初形の駒配置を2次元の世界観でとらえたのが「好形」という言葉であるが、3次元方向(現実の世界では時間軸は4次元だけれど)で捉える。
これまでの言葉では「(手順)構成」とか「ストーリー」という表現しかなかったが、「快感」に特化した用語が「フォルム」というわけだ。
しかし、この言葉、いまだパラの解説などで見たことがない。
そのうち院で使ってみようかと思っている。
引用だけでは終わっては何なので、私の作った新しい言葉も一つ披露しておこう。
たくぼん家のトイレットペーパーフォルダー—意味は本家を参照のこと
あ、全然私が作った言葉ではありませんでした。失礼しました。
Tweet
1号局の栄冠を掴む所だったけれど余詰。
(1982年4月近将)
1号局。
(1985年8月近将)
2号局。
(1992年3月近将)
3号局。
(2000年2月詰棋めいと)
n号局って言い方あるのかな。
と、これでいいんですよね?
TBaseに収録されていない最近の作品はわからないので、もし他にあったら教えてください。
までしか払っていない。
つまり今月中に引越しできないとすべて消えてしまう。
でも、もう半分諦めモードです。
いくつかは残しておきたいエントリーもあったんだけど。
妖精2の改良図とか……これはご本人が持っているからいいのか。
タイムトライアルも随分大勢の方に遊んでいただいたようだ。感謝。
Tweetぱっと見たところ、気楽な作品も多数まじっているようで、なかなか楽しそうだ。
参加できなかった事が悔やまれる。
今月も楽しい作品がそろっています。
いずれも「本歌取り」というか、そこからどのように新作を織りなしていくかという見本のような作品です。
それにしても「半期賞作品、まよいますね」という総評がくるくらい自分としては満足できる撰題をしてきているのに、まだ「おーるA」が取れていない。
4月号の解答はまだ送られてきていないのだけれど、「虹と雪のバラード」もすでにメール解答でB評価をいただいた。
いったいどんな作品だったら現代において「おーるA」を実現できるのか?
こうなったら7月号の撰題をあれとあれでそろえてしまえ!乞うご期待。
北村憲一さんと山田康平さんが参加している。
もう尊敬するしかない。
お、4番の構図は!
な、なんと。
全然知らなかった。
解答選手権の夜の詰工房2次会では元気だったし。
いや、確かにちょっと疲れていた様子だったかも。
四百人一局集や北原義治作品集など仕事が重なっていたからなぁ。
詰め将棋カレンダー
みんなで作ろう!『日めくり詰め将棋カレンダー2011』
今年もまたこの季節がやってきました!
みんなで作ろう『日めくり詰め将棋カレンダー』2011年版が始動します。今年もみなさんの力を合わせて、「楽しく」「解きやすい」「詰め将棋が好きになる♪」カレンダーを作りましょう!
今年からは新企画として「告知板」を設けました。あなたのブログ、ホームページのPRやサークル・将棋大会・道場・教室の案内・予告など用途は様々です。こちらもぜひ、ご利用・ご活用下さい
◆日めくり詰め将棋カレンダーとは?◆
365日、毎日が詰め将棋!繰り返し解けるから、棋力アップ間違いなし。家でもオフィスでも、日常の暮らしに詰め将棋がさりげなく彩りを添えてくれます
◆問題は誰が作るの?◆
プロ・アマ問わず、みんなの作品が掲載されます。ベテラン作家から初めて作ったお子さんまで、幅広い方が参加してくださいます。もちろんLPSA所属女流棋士も出題します。
「作ったことないんだけど…?」という心配は無用
引用元: 日本女子プロ将棋協会|LPSA|.
やっと告知されました。
フジタマさん脱会で来年のカレンダーは絶望かと思っていたのですが、広告を入れるという奇抜なアイデアを伴って、2011年版もLPSAで製作が決定しました。(しかし広告が365も集まるのかなぁ???)
上の告知文では募集する作品の手数も明らかになっていませんが、昨年同様1手~7手だと思います。
みなさま、作品の投稿よろしくお願いいたします。
あ、1人5作までになりました。2010でも5作を超えて採用されたことはありませんので妥当な数でしょう。
広告の出稿もよろしくお願いします。
オイラもつきあいで出すかなぁ。(でも、なにを?)
へやわけは好きなので迷わず購入。
新作がたっぷり120題つまっているが、目にとまったのが「マイベストへやわけ」。
15人の作家が、自作のベスト部屋分け作品を展示している。
こうゆう企画、わくわくします。
解くのが楽しみ!
さらに本誌「ニコリ」春号を読んでいたら、30年間から毎年1作づつ選んだ30題の名作集を作るという記事を見つけた。
ただし、ニコリクラブ入会特典だ。
これは悩む所だが、また入会する確率高くなってしまったなぁ。
Tweet好形作ならではの危険—それは同一作の恐怖だ。
同一作でなくても類作の危険率は高い。
詰パラ4月号で伊藤和雄作に対して厳しい意見を書いた。
ちょっと補足しておく。
まずは図面から。
一番古いのが二上九段作。
そして次にでたのが次の妻木貴雄作。
そして最後が詰パラ2010年1月号に発表された伊藤和雄作だ。
奇しくも2手ずつ逆算した格好になっている。
実はまんなかの妻木貴雄作を近代将棋で解説したのが、私だった。
その際はこのように書いた。
詩やメロディが一部似ているからと「盗作騒動」が時折起こる。
故意なのか、それとも偶然の一致か。醜い罵りあいが報道される。詰将棋は限られた駒と盤面でなす遊びであるから、似たような配置・手順が出現する事も間々ある。
あまり目くじらを立てていては選題もままならなくなるという事情もあるようだ。
短編で駒数の少ない作品の場合など、推敲を尽くしたが故の必然の一致と言いたくなる様なケースさえある。それゆえか詰将棋では「盗作」という悪意の含意された用語は使わず、「類作」「同一作」といった用語を使う。
それでも先行作があった場合、創作の苦労が水泡に帰するのは同じだ。2番山腰雅人氏作は三手目以降同一手順作があった。
将棋ジャーナル昭和62年5月号原利和氏作。
また7番妻木貴雄氏作も二手進めた局面が将棋世界昭和62年12月号の二上達也九段作と一致していた。皆様、御寛恕の程よろしくお願いいたします。
妻木作の付加した2手は明らかに価値ある2手だ。
しかし、二上九段がこの逆算に気付かなかったかというと、そんなことはなく気付いていた可能性は少なからずあるとも思えるのだ。
では、なぜ妻木作の形で発表しなかったのか。
考えられる理由としては
などが考えられる。
あえて易しくする場合だってあるということだ。
難しくするだけが能ではない。
今回の場合も、妻木さんが伊藤和雄作の図面を考慮した可能性はやはり少なからずあると思う。
そして、駒取りの2手を入れる価値はないと判断したという可能性だ。
初手21角が11玉で切れると見きれる人にとっては、23金は必然手。
ならば、あえて駒取りから始める理由は形式美以外にない。
その形式美をどの程度評価するかという価値観の問題だ。
そういったわけで、次のような記述になった。
おいらの感覚では新作としての発表は厳しいと思う。
サロンでの紹介やアンデパンダンでの出題がふさわしいのではないか。
ただ、これは勿論、事前に類作に気がついた場合の話で、いわば仮想の話であります。
さらに蛇足。
詰将棋にあまり詳しくない方のために付け加えておきますと、妻木貴雄さんも伊藤和雄さんもともに実力も実績も豊富な方で、これらの作品は偶然の一致だということは前提での議論でした。