創作を嫌にさせる解説

『三百人一局集』で畠山広吉が次のように書いている。

詰パラ50号記念の50局選に(だと思いますがはっきりしません)応募した作が「盗作?」「真実は本人のみぞ知る」などの評をいただき、余りにも偶然のことにショックも大きく、其の後は創作嫌悪症となり未投稿の作品6,70局も全部焼き捨てました。

70作といえば数十時間いやおそらく優に百時間以上をつぎ込んだはず。
そのような自作を焼き捨ててしまうなんて……読んでいるだけで心が痛む。
一体どんな解説だったのだろう?

詰パラ1960.4。やはり記憶に間違いは無く、50号記念9手詰コンクールの結果稿だった。

畠山広吉 詰パラ1960.2

全文引用しよう。

☆手筋の見本的作品。デパートの食堂の入り口に飾ってあるたべ物の見本が思い出される。その点で最下位になってしまった。
○間—有名な手筋で余りにもカンタン。
○林—旧パラ昭25年8月号小学校に高橋利雄作として次の作あり、好評だった。初手34飛、23玉で以下は全く同じ。果たして偶然か?
下段の図と、本号の図とよく見比べて下さい。焼き直しとみられるがどうだろう?
☆10年も前の図ですが、真相は作者のみ知る。
村上—案外狭い玉様です。

その高橋作は下図。

高橋利雄 詰パラ1950.8

たしかに高橋作がある以上、畠山作は新作として認められることは難しい。
入選保留としても作者は納得しただろう。

畠山を傷つけたのは「焼き直しとみられる」という評をそのまま掲載し、「真相は作者のみ知る」と疑われたことによるだろう。
実際に「焼き直し」の投稿が多かったという背景があるのかもしれないが、この解説で創作嫌悪症に陥った作家が生まれ詰将棋界としても有望な作家を失ったかもしれないという事実は記憶しておかねばなるまい。

先日、古い近将を読んでいたら友人のSさんの初入選の作品が見つかった。解説は以前にも取り上げたことのある某Iプロだ。Sさんも近将に投稿した作品の解説が厳しかったので「約10年創作をやめた」と言っていた。

畠山広吉もSさんも再び詰将棋創作に戻ってきたからよいが、同じように解説にガッカリしてそのまま立ち去っていった方はどれくらいいるのだろう。

ある程度、経験を積めば、どんな解説でもどんな短評でも、全然平気になるんでしょうけどね。


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