詰棋書紹介(99)で81画玉配置という言葉が使われていた。
将棋の盤面(九九八十一)すべてのマスに初形の玉を配する趣向だ。
献上図式に端を発する伝統ある条件の一つ。
しかし詰棋界における使用例は「格」が圧倒的に優勢だ。
すなわち「81格」とか「全格配置」。
別の趣向だが「全格巡り」という言葉もある。
門脇氏の『詰むや詰まざるや』を初めとして二上達也『将棋魔法陣』、岡田敏『81マスどこでも詰ませる5・7。9手』でも「81格」としている。
「81画」としているのは、相馬康幸の『相馬康幸Collection』だけだ。
なので、初めは誤植かと思った。
しかし、相馬康幸という人物は一見自由に気ままな発言をしているように見えて、実は裏では綿密に計画・演出を考えている人物だ。
恐らく、なんらかの考えがあって「81画」を使用しているに違いない。
そこで、辞書を引いてみた。
まずは「格」について
藤堂先生
藤堂先生は会意+形声と考えて「各」の字義から「つかえて止めるかたい棒」—木で組んだ格子のような物を表す文字との意見。
白井先生
白井先生は形声文字と考えて「各」の意味は無視。格闘・規格がもともとの意味であるとの意見。
続いて「画」についてはどう書かれているか。
「画」は本字は「畫」。
藤堂先生
筆+田圃の境界線だから地図みたいなものだろうか。九分一法のようにこの区画からの収穫は税として収めろみたいに使ったのだろうか。結局区画という意味と考えて良さそうだ。
白井先生
白井先生は筆は同じだが田圃の境界線ではなく楯だという。藤堂先生のいっているのは「画」ではなくて「図」だろうという。絵を描いた楯の意味だという意見だ。
両先生(漢字について我々の世代はなんといっても藤堂先生を尊敬している。ただし、時代の制約があって不利。若い人には白井先生が大人気。文章は難しいしなぜ人気あるのか不明。でも中国からの新しい情報を得ていて有利)の意見に差はあるが、読み比べてみるとオイラも「画」の方が良いような気がしてきた。
これからはオイラも相馬さんの真似をして「81画」と書くことにしよう。
さらに詰パラにおける「画」の使用例をみてみる。
詰パラ1966年9月号に綿貫規約の起草者である橘二叟(綿貫英助)氏の訃報が載せられている。
そこに橘氏の絶筆として紹介されている「詰将棋に準用する将棋一般規則要項(草案)」には次の記述がある。
第5条(盤) 使用する盤の区画は9行9段の81画とする。
吉田健『小夜曲』には詰パラに掲載したエッセイも収録されている。
p10からの「まだ飛んでるぞ、この蝶々」には次のような一文がある。(詰パラ1697.8)
81画の盤面と、8種類の駒の制約をとらえた電子計算機的な理論もあれば、いわゆる「手筋」をめぐる実証的な論難もある。
吉田健氏は詰パラ2003.5の「全詰連の頁」でも「81画」を使用している。
言葉や漢字には厳しい方々が「画」を使われているので、ちょっと安心である。
追記(2021.4.28)
某氏より『相馬康幸Collection』が「画」なのは次のアーティクルが参考になるだろうとのこと。
『Collection』の秘密(via. 詰将棋マニアックス)
なるほどなるほど。「81画」でググると複雑な漢字やら姓名判断の話しか出てきませんが、そこも逆手に取っている訳ですね。
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