青年向けマンガ雑誌の表紙はなぜ水着の美少女なのか?
—その方が売れるから?
そうかも知れません。誰がはじめたか知りませんが、その雑誌が売れたからみな表紙のアイデアに著作権はないぞと臆面もなく右に倣えをした……。
しかし、最近私は一つの答を思いついたのです。
それは「小学生に買わせないため」。
エロい話も載っている青年マンガを小学生に買わせないための精神的障壁として表紙が恥ずかしい水着写真なのだと思います。
小学生から中学生にかけて、もし小学館のビッグコミックが水着の写真だったら、私は恥ずかしくてとても買うことができなかったでしょう。
日暮修一の表紙だって、ドキドキでレジに持って行ったものです。
それでも、手塚治虫の『地球を呑む』、石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』が読みたくて買いました。
そうです。
私の少年時代は少年マンガ興世の時代から、青年マンガが誕生し主力が移りつつあった時代で、様々な名作が次々に生まれた時代なのです。
たぶん全国のマンガ好きな小中学生が、叱られやしないかビクビクしながらビッグコミックを買っていたに違いありません。
しかし、それはまだ試練としては軽いものでした。
高校生になって、私はもっと恥ずかしい思いをして雑誌を買わなければいけない羽目に陥ります。
それはやはり小学館の『別冊少女コミック』でした。
そうです。時代は少女マンガに写っていきました。
特に『別コミ』に優れた才能が集まりはじめたのです。
全国のマンガ好きの高校生は、きっと同じ様に「これは妹に頼まれて買うんです」みたいな顔をして『別冊少女コミック』を買ったに違いないと思います。
萩尾望都・大島弓子・樹村みのりといったキラキラする才能がそこに集結していました。
その一団である竹宮惠子(『ファラオ』も『風と木の詩』は読んでいたいが『地球へ・・・』はもちろん読んだ。)が自伝風読み物『少年の名はジルベール』を数年前に出版しました。
その本を読んで、私は竹宮惠子が一時期、萩尾望都と同居生活をしていたことを知ったのでした。
言われてみれば竹宮惠子と萩尾望都は絵も含めて似ているかもしれないと気づきました。
そしてお互いに良くないので別れたという話が書いてあったような気がします。
(実物を再読しようと本棚を探しましたが見つかりません……)
そして今回、萩尾望都が『一度きりの大泉の話』という本を出版しました。
早速購入し、読みました。
色々と驚きでした。
竹宮惠子の本を読んだ限りでは、萩尾望都はすでに巨人としてそこに存在していたような印象だったのですが、萩尾望都の文章を読むと既に評価されて仕事も豊富だったのは竹宮惠子の方で、萩尾望都は仕事の依頼も不安定な駆け出しの作家だったというのです。
そしてネタバレになるのでここには書けませんが、大泉を解散しさらに埼玉に萩尾が移住することになった経緯が萩尾望都側の事実が書かれています。
事実は事実として、二人がこれから幸せ生きて行かれることを願ってやみません。
読者としての感想を述べれば……
すると木原先生は、「あなたね、個性のある創作家が二人で同じ家に住むなんて、考えられない、そんなことは絶対だめよ」と、キッパリ言われました。
結局は、そういうことなのだろうと思います。
私と印象としては、間違った行動をしたのは竹宮だが心情的には竹宮に同情したい気持ちも少なからずあります。
やはり萩尾望都は天才なのだ。
この本を読んでいても、何度も笑わされました。(恐らく作者の思惑外の部分で)
毎晩浮かぶ物語を5日かけてネームを切り、1日で仕上げる。
一度見たモノはすぐに絵にできる。
桃、桃と思って点を打つ。
そして恐ろしいほどに繊細。
実際に身体症状に出て苦しむ。
……天才も生きていくのは簡単ではないんだなぁとシミジミしたことでありました。
Tweet