感覚的な意外性

Writer:松田圭市

論理的に精緻な詰将棋を作るのが王道かも知れないが、私は感覚的な意外性を重視している。
【1図】

北海道将棋連盟HP2008年11月

成るほうが利きが増えるのに不成を指す。
成ると両王手になるが、これは解答者の予備知識を悪用しているとの批判があるかも知れない。

【2図】

北海道将棋連盟HP2009年7月

詰将棋つくってみた課題7のお手本的作品。
捨て合いを挟み3手でバッテリー生成する。難しいことを優しく表現するのはエレガントと思う。
この筋は通俗的になりがちなので一工夫した。

【3図】

北海道将棋連盟2004年12月

変化に両王手があるので合駒が効かない。
両王手は数学に例えると0を掛けるようなもので、駒の利き数を超越する。それ故の固有な表現が可能なのだ。
詰将棋の良さを説明するのは難しい。「捨て駒があるから良い」「不成があるから良い」と教条主義的になるのは、ある意味やむを得ないのだ。論理的精緻によって教条主義を打破できるのかも知れないが、それはよく分からない。

 感覚的な意外性は漠然としているが私が目指しているテーマでもある。
解答者の読みをどのように誘導し、それを裏切ろうとしているのか?というのが詰将棋のテーマでもあるが、私は解いて心地よいと感じてもらうのを一番念頭に置いている。感覚的に意外性な一手を入れ、あとは棋形と手順の流れを大事にしているのだ。

松田圭市 北海道将棋連盟HP2008.11

松田圭市 北海道将棋連盟HP2009.7

松田圭市 北海道将棋連盟HP2004.12

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください