小川悦勇『雨滴』を読んでいたらこんな記述があった。
でも、この作品傑作なので、もし初見の方がいらしたら解いてから続きを読んだ方が良い。
小川悦勇『雨滴』第10番 詰パラ 1955.8改
本作の詳しい解説は年末特別出題 隅の老人Aさん作 結果発表をご覧ください。
この作品について今川さんが次のように書いている。
本来なら「馬鋸入り市松」の第1号として詰棋の歴史に残る筈だったが、早詰でこれがならずとは、口惜しいね。
そして参考図として下図を「今では馬鋸入り市松の1号局となっています」としている。
岡田敏『詰の花束』第442番 詰パラ 1966.3
これは多分何かの間違いで、1号局はこの作品の姉妹作である次の図のようだ。
収束が小川作と類似しているのでこちらの図を紹介したということなのかも知れない。
岡田敏『詰の花束』第441番 近代将棋 1963.4
そして『詰の花束』の解説は次のようになっている。
「市松模様」に馬鋸を取り入れた完全作第一号作である。
わざわざ「完全作」という文字を入れたのは小川作に敬意を表してのことだろう。
冒頭の図は、2008年に冬眠蛙の冬眠日記で発表された修正図である。
それでは修正図が発表されたら、「馬鋸市松1号局」は小川作になるのか。
これは否であろう。
小川作1955と小川作2008は修正図であっても別の図なのであるから、あくまで1号局は岡田作1963というのが正確だ。
(そうでなければアイデアだけでどんどん不完全作でも発表して「1号局」を獲得することを狙う方が出現するかもしれない。ま、出現してもかまわないと思うけれど)
(そして実際には必ずしも取り扱いが統一されている訳ではないと思うが、その点は今日の話題ではないので割愛する)
しかしそれでも今川さんの口惜しさは痛いほど分かるのである。
なぜなら情報というものは創作において物凄く重要だからだ。
例えば伊藤看寿の図巧#99「煙詰」は神局だった。
当然「煙詰」は固有名詞だった。
それが黒川一郎「落花」が出現して以来、「人間でも煙詰は創作可能なんだ」という情報のお陰でいまや300局以上創作され「煙詰」は普通名詞になっている。
ずっとスケールは小さくなるが、つい最近の例を。
ある日、小林敏樹さんから次のようなメールが来た。
「ウマノコさんが○○☗~○○☗成の7手詰を盤面10枚で創ったよ。できる?」(未発表作なので手順内容は伏せておいた)
情報はこれだけ。図面は見せてもらっていない。
そんなことが可能なのかと自分でも挑戦してみたら、確かにできた。
(出来はもちろんウマノコ作の方が良かった)
しかし、自作は小林さんからの情報がなければ作られることはなかったのだ。
その狙いは理論的には7手で実現可能なのは直ぐ分かるが、小林さんが15手だか17手だかで作っていたものだった。だったら7手でできる訳はないと思っていた。
結局、小林さんからのメールという情報が作品を作ったということだ。
不完全作でも最初にそのアイデアを思いつくということは、それだけでも大きな仕事をしているということだ。
そういう想いもあって、つみき書店では修正図にも上記のように不完全作の発表年月を表示している。ただし誤解を避けるために「改」の文字を入れている。
「1号局」の栄誉を得たいのだったら、次のような方法がある。
今では柿木将棋という強力なツールがある。
2号局が出現していない過去の1号局作品を柿木将棋で片っ端から検討してみると良い。
さほど苦労せずに、いままで知られていなかった余詰が見つかるだろう。
そして今までに積み重ねられた創作のノウハウや柿木将棋などの検討ツールを活用して1号局を創作するのだ。
その上で過去の「1号局」には余詰があったことと同時に自作を発表すればよい。
こんなことを書くと、なんてインモラルな行為を勧めるんだとお叱りを受けるに違いない。
確かに過去作に尊敬の念を持っている方なら、そんなことはしないだろう。
でも、もしそういう方が出現しても心配することはないと考えている。
忘れなければ良いと思うのだ。
不完全だったけれど幻になってしまった1号局のことを。
詰将棋全体の遺伝子プールというものを考えた場合、完全作だけでなく、不完全作や(最近不完全扱いされてしまう)変長作も大事な要素ではないかと考えている。
昔は余詰作も収録した『曲詰百歌仙』や『夢の車輪』に違和感を覚えたが、最近はそれもアリだなと考えを改めた。
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