詰将棋雑談(88) 名言集(4)

プラトン 話というものは、すべてどのような話でも、ちょうど一つの生きもののように、それ自身で独立に自分の身体を持ったものとして組み立てられていなければならない。したがって、頭が欠けていてもいけないし、足がかけていてもいけない。ちゃんと真ん中も端もあって、それらがお互いどうし、また全体との関係において、ぴったりと適合して書かれていなければならない。(『パイドロス』)

高柳敏夫八段 コマを捨てるとか捨てないとかを超越した、なにかがあっていい。そのなにかは、妙手を色彩として俗手を影とするなら、色彩ばかりを追うより、影をもって色彩を表現するのも一つといえると思う。(『新感覚詰将棋』)

高柳敏夫八段 詰将棋を作るということは、大変難しいことに思えるが、さしたる棋力を必要としないのは、私の子供の頃を想い返してもいえると思う。ただ、夢をえがける能力があること。夢を追って、足りないところを補足し、不要なモノは消していく、それだけなのである。(『新感覚詰将棋』)

かじまき 突っ走っているときこそ、ご用心。

高島俊男 考証というのは碁将棋のようなもので、いくら脳髄をしぼっても国家民族の役には立たない。そのかわり当人にとっては無上におもしろい。やり出したらやめられない。「そんなことをやって何になる?」という問いとは無関係なのである。(『漢字検定のアホらしさ』)

北村憲一 私が詰将棋を作るのは、詰将棋の本を作りたいからです。(私信より)

伊藤正 煙詰創作というハードルがけっこう手頃なんですよね。ちょっと努力すればできる、という高さ。100メートル走で言えば15秒の壁、というくらいかな。10秒で走るのはむずかしいけど、15秒なら、という。(『この詰将棋がすごい!2010』)

若島正 余詰が出そうで出ない、そういうきわどい狙いは、詰将棋創作でいちばんやる気を起こさせるものである。完全と不完全のすれすれのはざまに、詰将棋の美が宿ることが往々にしてあるからだ。(『盤上のファンタジア』)

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