遊びは秘めやかに

 このブログを読みに来てくださる方は恐らく将棋というゲームを遊んだことがあるに違いないだろう。将棋を指すということは二人でその時間を共有して楽しむところに本質がある。その記録として棋譜というものを残すことができるが、それは遊びの残骸に過ぎない。そこから二人が何を考え何が起こったのかを読取ることは至難である。
 遊んだことはないが茶という遊びもある。主人がどんな趣向を凝らしたか、客はそれを読み取ることができたか。主人と客が共有した時間と空間がその遊びの本質である。記録に残すとしたら「お茶を飲んだ」というだけ。「王手の連続で相手の玉を詰ました」となる詰将棋とどことなく似ている。
 歌仙という遊びをご存知だろうか。筆者は一度だけ参加したことがあるのだが、文学的才能がないので四苦八苦だった。発句の五七五に対して次の人が七七をつける。また次の人が五七五をつなげるという連歌の一種で、松尾芭蕉が完成させ流行させた遊びだ。これも完成品は記録に残る。しかし実際にはリーダーが直しを要求したり自ら直したりという作業をするし、参加者が頭を捻り苦心惨憺するその時間と空間が遊びの本質なのだ。巻かれて完成した歌仙は将棋の棋譜と同じ、遊びの熱や興奮を伝えるものではあっても、遊びの目的ではない。

 小川悦勇 風ぐるま1955.5改

 さて図は小川悦勇『雨滴』第17番である。

 初形を見ただけでは、これから何が始まるのかまったく予想がつかない。

 詰上り図

 そして詰上り図を見ても、いったい何が起こったのかもうすべて片付けられてしまって想像もつかない。盤面の左 \(\displaystyle\frac23\) にある不動駒—歩・と・香—が舞台を作っていることはわかるが、その舞台でなにが演じられたかは跡形も残っていないのである。
 実際に解いた者だけが、そのパフォーマンスを鑑賞することができるという仕組みだ。茶室に入らなければ、皆と一緒に歌仙を巻かなければ、その本質を味わうことはできないのである。

 この作品は作者によって何度か改作されているが、上の図はつみき書店版『雨滴』ではじめて公開された図の一つである。したがって初見だという方も多いことと思う。

 本書は2008年に pdf で作成された『雨滴』が元になっている。(今でも「冬眠蛙の冬眠日記」や「ベイと祭と詰将棋」からダウンロードできる。つみき書店からもダウンロードできるようにしたいが、pdfの編集に手間取りまだ実現していない)

 2019年に小林敏樹さんと一緒に小川さんを訪ね知己を得てから、「紙でも残しましょう」と提案したが、「お金もないから」と断られた。「作って貰ってもいいかな」とお許しが出たのは2022年の初春になってからだった。さっそく須川さんと市島さんに解説の執筆を依頼し、利波さんに解題の執筆を依頼した。制作は順調に進み2022年の11月にはver.4が完成。しかし、そこで進行は止まってしまった。

 理由は色々あるのだが、一つは筆者に解説執筆を指定した大きく改作された三つの作品–その作者の改作意図を理解するのに時間がかかったこと。一つは読みやすくするのに会話形式に再編集したのだが、どこまで踏み込むか、また全体の構成に試行錯誤したこと。ver.4.1 が完成したのが2023年9月。12月には装丁を依頼したが、依然として作業は遅々として進まず、ver.5 に辿り着いたのが2024年の6月だった。山田修司氏に序文を依頼したが返事は返ってこずじまい。小川さんにもメールしても返事が返ってこない。そして息子さんより電話があり、小川さんが2023年の8月に亡くなっていたことを知る。

 完成版はver.7.1 2024年9月にようやっと完成に辿り着いた。しかし、小川さんに完成品をお見せすることができなかったというショックで、筆者は後書きを書くことができなかった。それでこの本は付録の「作意および作品解説」で唐突に終わっている。

 柳田明全詰連会長にいただいた序文は筆者にとっても大変うれしいものだった。全文引用してしまおう。

序  文
 
 小川悦勇さんは詰将棋作家として古くから活動されてきて、私から見ても大先輩である。
 曲詰がお得意という認識はあったが、初期の代表作であるピンポン球や大型市松などが、実は私が生まれる前(1956年以前)の発表作と知って今回あらためて驚かされた。
 
 本書の元になったのは2008年にまとめられた電子版『雨滴』である。
 そこには必ず作品集にはあるはずの作品解説がなく、「この作品集を手にした人が、自力で解いて、作品の善し悪し、面白さは判断して下さい。その替わりに、この作品集を二人の駄文で埋めましょう」という驚くべき宣言が書かれていた。
 
 この会話形式で進められる文章が面白くて引きずり込まれてしまう。
 登場人物は4名だが、ほとんどは隅の老人Aさん(作者:小川悦勇氏)と隅の老人Bさん(今川健一氏)の二人の会話で埋められている。勿論詰将棋の話題がメインだが、著名な詰棋人の話や仕事を転々とする話など、内容は多岐に及んでいて本当に面白い。小川さんも今川さんも既に故人で残念なことに本書の完成を見ずに逝かれたのだが、とにかく明るいトーンの文章が続き「これだけ語っておけば言い残したことも無かろう」とまで思わされてしまった。
 
 今回つみき書店の風みどり氏の編集により『雨滴』が1冊の作品集として刊行されるのを何より喜んでいるのはAさんBさんではないだろうか。
 一人でも多くの方が本書を読んで小川さんの人柄に触れ、そして楽しんで下さることを願うばかりである。
2024年8月
全日本詰将棋連盟会長
柳 田 明

 ユニークで読み応えのある本が作れたという自負はある。冒頭で紹介した第17番をご覧に入れよう。 

雨滴17

 小川さんの作品のみならず、参考作品の紹介も豊富。昭和の詰将棋界をたっぷりと味わえる1冊です。
是非、お買い求めください。

2024年 雨滴

 小川悦勇詰将棋作品集
 74局収録。232頁。2500円(税込)

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