詰将棋入門#29で取り上げた佐藤千明作。
14角の配置の意味は何でしょう。
佐藤千明 将棋月報 1942.2
おそらく、次の2つ。
- 8手目33角合の回避
- 17手目13香の位置限定
とすれば、17手目の香車の以遠打を気にしなければ(気にする必要はない)、23金を馬にすれば使用駒が1枚減ることがわかります。(Limit7!)
この佐藤千明作を知らずに、23馬の図に辿り着いたのが17歳のときの伊藤果(現八段)。
伊藤果 残影 第15番
香合の趣向で、駒数も少なく一つの発見だと喜んでいた。が、不幸にも類作があり、がっかりした作品。好きな作だっただけに、残念。(未発表)
同一図ではないけれど、同一手順なので専門誌に発表することはかなわないけど、自作集にいれるのは許されるんだと筆者は学びました。
この図は1996年11月17日発行の「王様殺人事件」(吉村達也との共著)の第32問にも登場します。17歳の創作というのはそこにあった情報でした。
もしかしたら、他でも使っているのかなと空気ラボさんの同一作検索にかけてみました。(いつもお世話になっています)
でてきた出力は次のものでした。
あれれ?
高柳敏夫八段の名前がずらっとでてきました。
これは??
伊藤八段は南口九段に入門しましたが、1972年に東京に移り高柳敏夫名誉九段門に移籍しています。これはなんらかの大人の事情があるのだろう……あまり話題にしてはいけないのではないか。
と、書き綴ってきましたが、実はこれ古い人ならみんな知っている話です。
なぜかというと「残影」が1976年3月で「新感覚詰将棋」が1976年8月の発行。
「残影」でついこないだ見た図が「新感覚詰将棋」にも出てきたんだから、みな気づきます。
でも今回ちょっと考えたことが二つ。
一つは23馬の図は「残影」で先に見たので、伊藤果作とみなさんの頭にはインプットされていると思いますが、これよく日付を見ると、高柳名義での発表の方が早いようです。
ですから、公式にはこの図は高柳作とするべきだということ。
高柳敏夫 新感覚詰将棋 第3章第8番 東スポ1973.1.18
もう一つは、こんな可能性はないかなということ。
そもそも疑問だったんですが、師匠がすぐ本を出すのに四段になったからといって同じ図を先に本に載せちゃっていいのか?ということ。
そして伊藤八段は未発表の作品に類作があるということを誰に教えてもらったのかということ。
だって、佐藤千明作って当時はそれほど知られていなかったですよね。
もしかしたら本当に三重衝突だったのではないかという可能性です。
つまり「残影」に書いてあった類作とは佐藤千明作ではなく高柳敏夫作だったのではないか。
どうですかね?
興味ある人は、今度伊藤八段に会ったときにでも訊いてみてください。
もうひとつ、佐藤千明作で思い出した作品があります。
こちらは新しい。(といっても、13年前。これだから年寄りの話は困る……)
飯室宥蘭 近代将棋 2007.2
この作品、佐藤千明作を意識した創作なんでしょうか。
ちょっと気になります。