合駒を移用して持駒を変換させる作品で、数多くの作家に影響を与えたのは上田吉一の「積分」だろう。
持駒変換自体は伊藤看寿が「寿」で龍追いと組合わせて長手数作品の実現に利用しているのだがら300年前からあるのだが、龍追いを切り離して持駒変換部分のみを抽出したのが画期的だった。
上田吉一「積分」『極光21』第73番 詰パラ1974.1改
この持駒変換に龍追いではなく連取りを組合わせて長手数作品を実現する試みが展開されていったことは皆さんご存じの通り。
その「積分」の作者の上田吉一は長手数記録にはまったく興味がないことがまた楽しい。
さて、これだけでは「雑談」ではなく「入門」の内容だ。
今回紹介したかった作品はこれ。
北原義治 近代将棋 1961.5
序盤で余詰だったせいか紹介される事もなかったと思う。(修正図をご存じの方はご教授ください)
「最終手歩」の作品を調べていてみつけた作品なのだが、初めて見る作品だった。
ところが並べてみると、中盤で持駒変換をやっているではないか。
北原義治も古典から色々抽出する試みをしていた方だから、おそらく狙いとした事は上田吉一と同じだったのだろう。
すなわち「持駒変換部分の分離精製」だ。
しかし余詰もさる事ながら純化の過程が甘かったので皆の記憶に残る作品にはなれなかった。
(こんな悪口をかけるのも北原義治の偉大さのお陰であるが……)
テーマをどこまで深く追求するかの基準が変わったという意味で、上田吉一以前の作品だから仕方ないという事かもしれない。
ちなみに「積分」トリビュート作品群の中で筆者が一番好きなのはこれ。
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北原さんの作品は初見でしたが、収束で例の先打突歩詰をしている(笑)
塩野入清一さんの作品はいいですね。
なんでも素材のような簡素な構図に仕上げてしまう。この方の天分かもしれません。
この形の持駒変換は上田さんの前に北原作以外にも巨椋作などイロイロ作られていた記憶があります。
「積分」が新しかったのは、変換が一方通行でなく角が歩に戻って何度も変換される機構(寿の持駒変換部分の抽象化)だと思います。
なるほど、「寿」の歩⇔桂の双方向変換を抽出した点がポイントだと言うことですね。
だとしたら塩野入清一作は「積分」トリビュート作品とは言えないのですね。
よく分かりました。