「\(n\)手目の局面」は指す前?後?

Writer : 谷川幸永

些末なこだわり&悩みごと

 ニュースなどでよく耳にする「国の借金はGDPの○倍」という言い方、私には相当違和感がある。番組内でコメントしている大学教授の肩書をもつ人でも使っていることがあるし、むしろ一般会計→国、純債務(=負債-資産)→借金と不正確に端折っていることの方を問題にすべきかもしれないのだが。経済学の基礎を齧ったことがあれば直ぐ気づくように、借金は「ストック」、GDPは「フロー」と異質な変数(数量)であり、直接比較するのは不適切なのだ。それぞれある時点の状態とある期間の活動水準を表わし、単位も「金額」と「金額/期間」と異なる。ジュールとワットの関係に喩えれば解り易いか。更に、○倍と示すより「国の借金はGDP○年分」とした方が、正確な上に“○年間タダ働きしてやっと完済”というニュアンスが篭ってよい表現だと思う。とにかく、性格の異なる変数を混同するのは専門家として相当カッコ悪い訳。

 さて、詰将棋だとこれは局面と指手の関係に少し似ており、私は最近「\(n\)手目の局面」という言い方をやめた。

 詰棋規約を考える時など、私は手順を「樹形図」というデータ構造として把握することが多い。局面が「ノード(結節)」で、それらの間を指手という「枝」が繋いでいるもので、図像的には出題図を起点にし指手の選択肢に応じて枝分かれして全ての終端ノードが詰上りになる。「\(n\)手目の局面」とは、ノードを参照するのに枝を用いる“ズレたアプローチ”である。具体的に難ずれば、“\(n\)手目を指す前”の局面なのか“指した後”の局面なのか曖昧なのだ。僅か1手分の差なのだが。

 米国の月刊誌The Atlanticの人気コーナー「言葉の裁判所」で「第N世代の移民」という表現が取上げられたことがある。移住した当人たちの世代を算入するか否か、用例が分かれているがどうすべきか?という案件だ(因みに日系人に用いるissei、nisei等にはこの曖昧性はない)。“判決”は、この表現じたいを使うなというもので、たった一つの差でも正確な意思伝達ができないのは言葉として致命的な欠陥であるというのがその理由だった。

 という訳で、私も初形から正算する時は「\(n\)手目の指了図」(0手目の場合は「出題図」)と明確に書くことにした。しかし、(作意順の)詰上り局面から逆算する状況は妙に扱い難い困りモノになる。局面を「詰上り \(n\) 手前」、手順を「最終 \(n\) 手」と呈示するのはピッタリなのだが、指手の場合は正算の時とは逆に「詰上り \(n\) 手前の手」は不適切(枝を参照するのにノードを使用)。「最後から \(n\) 手目」は専門用語っぽくなくダサいし、「最終手の \((n-1)\) 手前」だとクドい上に1手の差に違和感を生じよう。
 解答をサボってこんなしょーもないこと(瀟洒な小論考のつもり)を考えている私が一番の困り者なのかも。

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