上田吉一 『極光21』第44番 詰パラ1972.5
2枚角の複合遠打の傑作といえば、伊藤看寿の図巧#8が有名だが、本作も昭和を代表する傑作だ。
初手は角を打つ一手だろう。
53角は駄目だから初手は44,35,26,17の4通り。
とりあえず平凡に44角と打ってみよう。
【失敗図】に辿り着くことで作者の狙いが見えてくる。
44角、
変化を確認しておく。
52玉は……
52玉、53角成、41玉、23角、32合、33桂まで
【変化図1】
63玉は……
63玉、53角成、73玉、55角、84玉、75馬、95玉、77角まで
【変化図2】
そこで(44|35|26|17)角には73玉が正しい応手だ。
73玉、
さて、また角を打つ一手である。
なぜなら55角成では62玉と戻られ、44馬では千日手。
さらに角を打ってしまうと【変化図1】でわかるように筋違い角を打てなくなるので詰まない。
3手目の可能性は64、55、46,37の4通りだ。
(なぜ28、19は駄目かは直ぐ分かる)
とりあえず一番近くから打ってみよう。
64角、
これは玉方も攻方も変化の余地はないだろう。
84玉、66角、
角を交互に使わないと玉に後戻りされてしまう。
95玉、86角、85玉、97桂まで
【錯詰図】
95玉にオレンジの角で王手するために28,19から打つのは駄目だという訳だ。
しかしこんな平凡な手順の9手詰である訳がない。
これはどこかで応手を間違えたということだ。
遡って調べてみると、間違えたのは6手目95玉。
正しい応手は……
75桂、
この桂の捨合は限定である。
なぜかは手順を進めると判明する。
同角上、95玉、73角成、85金、
角を交互に効率よく使われることを拒否する75桂の捨合。
これを同角引では73玉と戻られてしまうので同角上と取るしかない。
これで緑とオレンジの角が同一ラインに乗ってしまい、75角を飛び越して64角を86に移動させることが出来なくなったのだ。
86角では84玉と戻られるので、こちらを防ごうと73角成。
これで84合なら86角、85玉、97桂までだ。
ところが今度は逃げ道を開ける84金という移動合がとびだす。
86角では94玉と逃げられて失敗だ。
(84)同角、同歩、86金、94玉、
【失敗図】
これが失敗図だ。
持駒は桂馬2枚。
これでは王手がない。
因みに3手目46角とすればよいのでは思った方は鋭い。
46角に84玉ならば66角で75が2枚角の焦点にならない。
しかし、そうはいかないのだ。
3手目46角ならば、この時点で55歩と焦点に中合をする。
これでどっちの角で取っても千日手は逃れられなくなってしまうのだ。
しかし何度も書いているが【失敗図】に辿り着くことで作者の設定した謎が見えてくる。
本作の場合は、いかにして歩を入手するかだ。
【失敗図】で手駒に頭に利く駒—歩があれば手が続く。
初手が緑の位置で4通り。
3手目もオレンジの位置で4通り。
この組合せの中に正解はあるのだ。
赤い位置は中合がでてくる位置。
1箇所だけ、桂合が出来ない位置があることがわかるだろう。
作意を進める。
【再掲初形図】
17角、
73玉、37角、
84玉、39角、48歩、
「利き所のない駒の禁」……8段目に桂合はできないのだ。
そして8段目に焦点を作るのは初手17角と3手目37角の組合せ以外にない。
同角上、95玉、73角成、84金、同角、同歩、
86金、94玉、
【失敗図】とは持駒が違うだけだ。
しかしこの1歩がモノを言う。
95歩、93玉、85桂、同歩、94歩、同玉、
95金、93玉、84金まで23手詰
2枚角の複合遠打。そして意味付けを桂合拒否とした画期的な発想で右下には何の仕掛も存在しない謂わば無仕掛遠打を実現した。
石川雅夫 手順はじきに分かったが、玉方桂合に悩まされて角のエスカレーターを繰り返し、17角に気づいたたきには、まさにラムネとサイダーを100本ずつ飲んだような気分になった。
ところで途中図に玉方持駒を表示してみた。
その意味はお解りいただけただろうか。
17角、37角の時点では玉方の持駒に桂はない。
84玉と桂馬を入手した後で玉方は桂合が可能になるということを分かりやすく示そうとしてみた。
つまり17角、37角に対しては桂の中合はできない。
ところが、何年か前に「歩の中合は?」という疑問がどなたからか提出された。
最初、何を言っているのか意味が理解できなかった。
「歩をいかに入手するか」という狙いなのに歩の中合ってどゆこと?
【2手目44歩合】
【4手目55歩合】
そんなもん同角ととってしまえばもう歩を入手したんだから玉方も桂の捨合をする意味はないから捨合も歩だろう。そうすれば詰上りに歩が1枚残る。当然、無駄合じゃないか。
しかし、歩の中合をした意味は桂合を可能にするためなんだから捨合は桂をしたらどうなる?
(桂合を可能にしたいのは歩合をしたくないからなのだが???)
また4手目55歩合だと焦点は66になる。ここは二歩で歩合ができないから桂合するしかない……。
すると詰上りは……
余る駒は桂だ。
すると歩合は無駄合とは主張できなくなる。
つまりこの作品は2手目または4手目に歩合をどこかですれば変長になるという結論になる。
『極光』にも『極光21』にもこの変長についての記述はない。
これはおそらく、誰も気づいていなかったのだろうと思う。
もう一度言うが「歩をいかに入手するかという狙いの作品に歩合って頭おかしいのでは」と筆者は思っていた。そこに歩合を考えた最初の指摘者は偉いとも思う。(もしや柿木先生?)
もちろん、変長があるからといって、この作品が傑作だという評価は微塵も揺るがない。
サイダー200本が199本になった程度である。
(蛇足だが変長すなわち不完全作だと考えている教条主義者もいるかもしれないので、念の為に書いておく。)
さらに蛇足だが、『看寿賞作品集』(1999)ではやはりこの変長についての記述はない。
『完全版看寿賞作品集』(2017)では4手目55歩合について変長だと記述されている。
あらためて柳田さんの誠実な仕事ぶりが確認できる。
しかし、『完全版』では
・山本民雄作 23番 S47奨励賞
・愛上夫作 63番 S60短編賞
の変長には言及してないんですよね。
特に、後者の場合、上田作と類似のものの他に2~3ヶ所あるので、気になります。