今日はむちゃくちゃローカルな話になるのでよろしく。
亀有に数年前に●●という担々麺専門店が開店した。担々麺は大好きなので、開店早々に行って食べてみた。そして辛いだけで旨味は感じられない駄作だと思った。もう二度とこの店には来ないだろう。なぜなら若い頃と違ってラーメンは好きなだけ食べられるような代物ではない。月に一度と自制している。担々麺は普通のラーメンよりカロリーが高いので次のラーメンまで1ヶ月半は自粛しなければならない。だからラーメンを食べるときは満足できる美味しいラーメンを食べたい。それに万が一、数ヶ月語にまたこの店の担々麺を食べたくなってきて(カップラーメンを3日間毎食食べると、もう人生で二度とカップラーメンなど食べたくないと思うが、数ヶ月するとまた食べたくなることがある)も、多分その頃にはこの店は潰れて存在しなくなっているだろうと思った。
その店が潰れずに今でもちゃんと営業している。食べログの評価は3.49だから、割とみなさん美味しく食べているようだ。考えられるのは開店当初より店長の腕が上がって美味しくなったとか?6年ぶりにその店に行ってみた。
確かに最初に食べたときほど悪い印象はなかったので美味しくなっているようだ。まだスープに旨味が足りないような気がするが、パクチーが添えてあったり、テーブルに山椒が置いてあったりいい感じ。担々麺といえばホウレンソウと思っていたが、若い女性をターゲットに生き延びているのかもしれない。胡麻を客に擂らせるのもトンカツ屋みたいでアイデアかもしれない。(これも女性向きのアイデアだが)ただオイラの感覚では胡麻の量が圧倒的に少ない。3倍くらいは欲しいところ。
※写真は某サイトから無断で拝借
ただスープの色と味に、いまはなき始皇帝のスープを思い出させてくれた。味は比べものにならないんだけれど。思い出させただけでもお手柄だといえる。
さて、ここからが書きたかった老頭児の昔話だ。
始皇帝は北千住にあった店で、行っても閉店していることがしばしば。開いていたらラッキーという店だった。坦々麺専門で店にはクラッシック音楽が流れている。
とにかくスープが絶妙だった。よく宇宙飛行士が「地球は青くて美しい」ということを語る。この始皇帝のスープも赤くてとても美しい。いつまでも眺めていたくなる美しさだ。もちろんとびきり美味い。
この店、最初誰かに「有名な店だよ」と教えてもらったのだと思うが、いつ行ってもガラガラに空いていた。不思議だ。並んでは食べない主義のオイラにしては有り難いことだけど。そして本当に抜群に美味いのになんで人気なかったんだろうね。
北千住から日光街道を北に歩くと足立区役所の手前左側に千力(チカではなくセンリキ)という中華料理店がある。ここの担々麺も美味かった。足立区役所や足立高校に用事があるときは、必ずこの店に立ち寄ることにしていた。
この店は今もやっている。ただ去年行ってみたら外観は変わっていないのだが内装が変わっていたような。そして担々麺は美味かったけれど昔とはどうも違うように感じた。想像に過ぎないけれど、作り手が変わったんだろうな。レシピが同じでも作る人が違うと、どうして料理ってあんなに味が変わってしまうんだろう。(昔西国分寺だったと思うがセブンという最高に美味いラーメン屋があった。或る日作り手が変わっていてラーメンの味が全然違ってしまっていた。驚いてスープ鍋を覗いてしまったほどだ。見た目は今までとまったく変わっていないのに味が全然違う。凄い繁盛店だったのにその店はあっというまに消えてしまった)
そして今まで食べた担々麺の中でオイラが最も推す店はここから左に曲がり、梅島駅の直ぐそばにある担々麺専門店ふうりゅうだ。
始皇帝は担々麺専門店という名の通り、メニューは担々麺しかなかった(と思う)。この店は担々麺とラーメンがある。一度ラーメンを頼んでみたが激マズだった。しかし担々麺は極上だ。最近は元祖担々麺は担いで売られたメニューだから汁なしで、陳建民が日本人に合わせて汁ありにしたということで、汁なし担々麺があちこちで食べることができるようになってきた。この店は汁なしと汁ありの中間ぐらいの線を狙った担々麺だ。スープが少なめでドロッとしている。
旦那が担々麺を担当し、奥さんが餃子を担当している。この奥さんの餃子もみっちりしていて美味い。是非一緒に注文するべきだ。
北千住の始皇帝からセンリキそしてせんりゅうに至るこの道をオイラは担々麺ロードと呼んでいた。一度このルートを食べ歩きしてみたいと思っていたのだが、もはやその夢は果たせない。やはり思ったときに直ぐ実行しないといけないものだと後悔している。今では一日に3食も担々麺を食べることなどできないし、そもそも食べたい店はふうりゅうの1店だけになってしまった。なんで若いときにやっておかなかったのだろう。博多に行ったときは1日に5軒のラーメン屋を食べ歩いたじゃないか。博多にはなかなか来れないだろうとやりたことを実行した。北千住ならいつでも行ける。しかしいつでも行けるというのはいつまでも行かないということなのだ。いつかやろうと思っても、そのいつかは永遠に来ない。そのうち忘れてしまったり、実行不可能になっている。
もう一度書いておこう、やってみたいと思ったことは、いま、すぐにやるべきだ。始めるべきだ。後悔しないために、もしくは後悔さえもせずに忘れてしまわないうちに。