『紅玉』の解説から

昨日の門脇さんの「手順の解説が少ない」で思い出した話をもう一つ。

詰将棋入門(212)で小西逸生の「46角」という作品を紹介した。

小西逸生『紅玉』第55番 近将1958.9

46角、22玉、11銀、21玉、31角成、12玉、13角成、11玉、
22馬左、同金、23桂、同金、12歩、21玉、31歩成まで
15手詰

この作品についての『紅玉』に収められている解説が面白かったので紹介する。
そんなに長くないので全文引用してしまおう。

 此の作品は小西君としてもかなりの自信作らしく過日の詰将棋パラダイス誌に「私のベスト10」第十番として紹介されている。其の時の同君の感想文の一部をご紹介すると「AおよびBの紛れによって予期以上のものになりました。別に手ごわいといったところもありませんのですが、簡素な中にも微妙な味を含んでいて、自分の好みにピッタリの構成で、ゴタついた感じがないので、初心者にもそのデリケートな持味は十分理解していただけると思います。」以上でも、おわかりのごとくそのみごとな構成美は誰からも親しまれ愛されている大きな要素の一因ですが、読者の皆様方はさらに駒を並べて最初から玉を圧迫してゆく妙趣を心ゆくまで味わっていただきたい。近代詰将棋の今後の道標としての佳作。

なぜ35角や35角成では詰まなくて、46角でなければいけないのかといった手順についての説明が、清々しいまでに一切無い。詰将棋入門のエントリーを書いた後に、自分が変なことを書いてしまっていないか、答合わせのつもりで久しぶりに『紅玉』を繙いてみたら……あまりに手順が解説されていない解説なので……笑ってしまった。

なぜ『紅玉』において作品の解説がないのか。そのヒントは当時の詰パラ主幹鶴田諸兄氏の序文にある。

 一冊の本というものは、どんなものでも、そうたやすく出来上るものではないが、この「紅玉」には、小西君の魂の唄を、大勢の善意が温かく包んで、祭のミコシのようにワッショイワッショイと大事にかつぎあげている、といった趣きが、ひしひしと感じられ、そうした温かい好意がほのぼのと読者を包むといった本となっている。
 そう考えるとき、身体的に恵まれない小西君は、詰将棋という趣味を持った幸せで、精神的にはかなり恵まれた人といえると思う。むろん小西君の気持は、同君の自序をみればあきらかなように、心の底からその幸せに感謝している。
 日本に詰将棋作家は多いが、こういう形の自作集を出した(出してもらった)のは、小西君を以て最初としてよいだろう。

この本は全日本詰将棋連盟が発足して最初に手掛けた個人作品集なのだ。実際に編集したのは田宮克哉さん。なんと27名もの大人数で解説を分担執筆している。(田宮さんの苦労が偲ばれる!)

一言でいえば、「本の解説を書き慣れていない」せいだということになるが、もう少し補足しよう。
一般読者が読む文章だということを意識していないのだ。そもそも一般読者にこの本が届くなんて想像していなかったのだろう。全詰連で出版・販売するといっても買うのはみな詰パラ読者。だから、この作品についても当然詳しい説明は必要ないし、つい最近「ベスト10」で自作解説を読んだばかり。「紛れAとB」でわかるに決まっている。
まして60年も経ってからこんな風にブログで取り上げられるとは夢にも想像していなかったに違いない。

でも、それが本にすることの意義だよなと改めて感じる。
筆者自身も本物の『紅玉』は手にしたこともない。読んだのはリコピー版だ。
でも本になったからこそ、こんなことも起きる。

オイラが世に出した、そしてこれから出していく本が長生きしますように。
60年後に誰かのブログで取り上げられるといいなぁ。

「『紅玉』の解説から」への1件のフィードバック

  1. 詰将棋の解説で定番の常套句に「作意を並べてみただけでは難しいそうに見えず、解いた人にしか難しさがわからない」というのがあります。
    この作品はその反対で、「作意を見たところ、自分で解けそうな気がしない」印象を受けます。

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