詰将棋雑談(84) 先駆者と後発者

後発作家の悲哀

某氏の帽子 詰パラ1995.5

味の良い初手。39間駒の変化に対処した不成での角の最遠移動そしてスイッチバック。目的は28桂の邪魔駒消去で最短の収束。その桂馬も2手目37玉の変化で働いており完璧な短編だ。

しかし結果発表で次の先行作があることを指摘される。

河内繁夫 将棋世界1969.12

新鮮な不成作品を追求した作家、浮寝鳥の(本名で発表された)作品だ。
この作品は短編名作選にも選ばれていたので筆者は知っていた。しかし某氏の帽子氏は筆者より約10年若い作家。まったく知らずに上記の作品を創作し、発表したのだった。

自作集で次のように書いている。

チェスプロブレムの用語を拝借すると「不成の角によるスイッチバック」ということになろうか。変化では邪魔駒の桂も働いているので悪くないと思っていたが、発表時に類作指摘を受けた。こういうのは如何ともし難く、後発の悲哀を感じるよりない。

この文章を読んで共感を覚えた方も多いだろう。

昨日だって今日だっているはずだ。
苦心惨憺して仕上げた作品を発表したら、ベテラン解答者から「先行作あり」と指摘されて涙を呑んだ新人作家が。

先日も「伊藤看寿の時代だったら、未開の地があちこちにあって羨ましいな」といった趣旨の発言を読んだ。筆者もフェアリーに進む方は未開の荒野を開拓するのが楽しくてしかたない方達なのだろうと想像していたこともある。
自らの力で領土を切り取り増やすことが倫理的にも許されていた時代を羨ましいと思う権力者は今でもいるに違いない。(アノ国にもコノ国にも)

だが最近、あれ?と思うことが増えてきた。
先駆者と後発者って普通は先駆者の方が苦労するんじゃないのか?

先駆者の苦労

星新一だかフレドリック・ブラウンだか忘れてしまったが先駆者の苦労を描いた作品がある。遠宇宙への冒険に旅立った英雄が目的地に到着してみると、そこには「歓迎!」の横断幕が貼られている……というお話だ。先駆者の苦労の本質を鋭く描いた傑作だと思う。(作者とタイトルをご存知の方はご教授を)

つまり先駆者の苦労は、誰にも理解されないと云うことだ。

先日詰将棋創作チョー入門(25)でこんなことを書いた。

14龍、13桂、24桂、21玉、32銀、同金、
23龍、同金、32金まで9手詰

これは桂香図式の有名手順で「赤ん坊.ktk」で同一図検索をした範囲ではヒットしませんでした。
が、これはT-Baseが詰パラ等しかカバーしていないためで、きっとプロ棋士著の単行本にみつけることができるでしょう。

まぁ、とにかくこの図を得たとして、果たして投稿するに堪えうる作品かどうか、過去の類作をチェックしてみましょう。

こうして次の2作を紹介した。

岡田敏 詰パラ 2006.6

松田茂行 朝日新聞 1957年頃 改

しかし、よくよく考えてみて欲しい。いやよく考える必要もなくわかることだが、桂香図式の有名手順といっても元々は誰かが作ったものだ。
「詰将棋作家の皆さんに素材としてどうぞ」と詰将棋の神さまから賜ったものではない。

この13桂移動合からこじ開けて23龍と突っ込む味良い手順の作品は、調べた範囲で17作あった。
おそらくもっともっとあるだろう。実際、このあとで板谷作と有吉作が登場するが有吉作はこのリストには入っていない。

上のリストを発表年代順にソートしてみると……

一番古いのは金田秀信作だった。

金田秀信 近将1951.1

さらに調べてみると詰パラ1965.9に次のような記事を見つけた。

上の投稿について金田秀信氏自身が詰パラ1965.11に次のような文章を発表した。
「ものいい」とタイトルがつけられている。長いので抄録する。

…………
 しかし、小生にとってはその事よりも、それらの大もとともいうべきものが、多分小生の作品と思われることなのです。図面をご覧ください。

次のようなことが推察されます。

  1. AがCをまねて、そのAをBがまねた。
  2. AもBもCをまねた。
  3. Cに関係なくAをBがまねた。
  4. すべて偶然の一致。

少しややこしく書きましたが、要は(1)または(2)が本当ではないかと思うのです。
とすると、知る限り、小生にとってこういうことはこれで四度目です。
よほど愚作は、新聞、雑誌向きなのかも知れませんね。
(後略)

あくまで形美しくスマートで気持の良い詰手順を追求した金田秀信。

上の記事の2名の某プロ棋士の作品には新たにつけ加えたものは見あたらないが、ベスト3に選んだ松田プロの作品は金田作品の改良といえる。
それはどの図を完成と見るかという作家の感性の問題だ。しかし金田作からヒントを得たことは当然あり得る。

そう金田作品は別の感性を持つ作家の目から見ると「素材」に見えてしまうのだ。

無論、ヒトの脳味噌は無から新しいものを生み出すなんて事はできない。だれだって人真似から始めて、それに新しい工夫を積み重ねるのだ。
金田秀信作品からヒントを得て何かをつけ加え、自作として発表することは非難されることではない。

C図が優秀だからこそ、たくさんの類題が生まれてくる。しかし当然ながらそれらが正しく改良されたとしたならば、C図はそれらの類作群の中でもっとも貧相な作品になるということだ。
これはなんという矛盾だろう。まさにこれが先駆者の苦労だと思うのだ。

先に書いた小説のネタバレになるが、なぜ「歓迎」の横断幕が張られていたかお解りだろうか。
先駆者が出発した後、さらに宇宙船の技術は改良され、後発の宇宙船が先発の宇宙船を追い抜いてしまったということだ。

現在、『金田秀信作品集』の編集をしているが、金田作品にはこのようなケースがいくつもあるように思う。なかなか解説者泣かせの作品群だ。

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