ジェンダーフリーの時代

「機械に負けたからプロ棋士は意味がない」という言説を聞くこともあるが、これも理解できない。
100m走で人がバイクと競争して負けたからといって、それがどうしたというのだ。

ただそのうちバイクと人が本当に競争するようになるかもしれないとは思う。
今はオリンピックも男女別だったり、健常者と障害者が別だったり、いろいろ区別されているが、いずれみな一緒になるだろう。

詰将棋でもルールが異なる伝統詰将棋と双玉詰将棋が同時に発表され、賞を競う現実がある。

(ある趣向手順が双玉でなければ実現不可能なのか、それとも将来単玉で実現する人が現れるのか、賞の選考委員になればきっっと悩む経験をするだろう)


しかし、将来的にはさらにバカ詰などフェアリーも伝統詰将棋や双玉詰将棋と同じ土俵で争うことになるのだろうと予想している。ツインや複数解が魁となるだろう。

将棋も近いうちに脳の容量を機械的に増量したり、AIと常時接続したりできるようになった人間がノーマルな人間とタイトルを争うということも起こってくるだろう。PCやスマホの持ち込み禁止では対応できない状況がそのうちでてくるのは必然だ。(ドーピングなどは今すぐ起きてもおかしくない)

「ジェンダーフリーの時代」への2件のフィードバック

  1. 将棋は機械に負けるわけないと棋士はさかんに喧伝していたし、チェスや囲碁などと違い先手後手の差がないと喧伝していた(最近のAIでは将棋の先手勝率7割)。
    なにしろ矢倉46銀37桂戦法がAIによって否定されたから今まで何を考えていたのかと思われるのは致し方ないでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください