詰棋書紹介(57) 怒濤


山本昭一作品集「怒濤」 平井康雄 創棋会 2003.12.27

遺作集である。
和綴じの手触りが優しい造り。
箱入りである。

上田吉一氏による序文より

彼は昭和詰将棋黄金時代に、数多くの若手作家と共に、各分野で大活躍した人である。特に昭和31年生まれには優秀な作家が続出し、今日現役の有名人も多い。山本はその中で仲間の中心的存在だったらしく、飛び抜けた才気があり、長編の分野で急速に頂点へ達した作家のように思う。

西の山本昭一、東の柳田明というのが衆目の一致するところだった。
その柳田明氏は今はご存じの通り全詰連の会長。
山本昭一は46歳にして亡くなる。
惜しい人をなくしたとはこのような場合に使う言葉であろう。

ただし、なくなった時点では詰将棋界からは姿を消していた。
「詰将棋作家はモテない」
「彼女が出来たら詰将棋はやめる」
と公言していたが、結婚と同時に詰将棋界からは本当に見事に引退した。
(伊藤正氏とは交遊があったようだが)

「メガロポリス」、(ギガロポリス)、「メタ新世界」と詰将棋史に残る作品を創るような作家が、なぜ結婚したくらいのことで詰将棋を棄てるのか。
当時は理解できなかった。

想像することしか出来ないが、恐らく山本昭一は詰将棋に対して、もし続けていたらとても結婚生活を成立させることは不可能な程のめりこんでいたのだろう。
詰将棋のことを考え始めたら、話しかけても返事もしない、上の空、夜中でも何か思いつくと跳ね起きて駒を並べ出す……。
こんな旦那を許容する女性は普通に考えて存在しないだろう。

山本昭一が「詰将棋の詩」の編集長を務めていたとき、筆者が印刷・発送の事務担当だった。
その関係から、当時の若手が経験した深夜の長電話が私にもかかってきた。

思い出すと、楽しい時代だったなとついつい読みふけってしまうある意味で禁断の書だ。

タイトルの「怒濤」は再帰趣向の先駆的作品といえる第60番のタイトル。
紹介するのはかわいらしい連取り趣向(五月晴タイプ)の第56番。

山本昭一 『怒濤』第56番 詰パラ1981.1

「詰棋書紹介(57) 怒濤」への4件のフィードバック

  1. 上田さんに「次は軽いのにしときや」と言ったんですかと聞いたら、「それも言ったかも知れんけど、山本さんが『看寿賞もらって次に何をつくったらいいか分からへん』と言ったんで、『誰も期待してへんで』と言ったのは確かです」と伺ったことがあります。
    それから
    山落 → 山本氏
    ですね。

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