詰将棋のルール論争(9) 変同

1 詰将棋の範囲

「混ぜると危険」とまでは言いませんが,なにが議論されているのかを明らかにするため,1章は「詰将棋の範囲」として発表が許される詰将棋と趣味として一人で楽しんでいなさいとの境界を探っています。
いわば,創作者向けの内容に絞っています。

解答者としての論点,すなわち「答案の採点基準」については2章の予定です。

理論的には一方が決定されれば,もう一方も決定されるはずですが,現実には非対称だと思われますので。

1-5 変化同手数駒不余(変同)

変同とは作意と変化が同手数でかつどちらも駒が余らない場合です。
つまり作意と変化の区別が解答者にはつかないわけですね。

これは昔は尾岐れ(おわかれ)と云っていたようです。

これは綿貫規約上は許容範囲とされています。

筆者が詰将棋の世界に入った頃は変同を気にする人はほとんどいなかったように思うのですが、最近は大きなキズであると考える人が増えてきたようです。

もっとも先日古いパラを読んでいたら、「戦前は尾岐れを気にする人なぞいなかったのに、現担当者は不採用という方針でけしからん」という文章を見つけました。結構変同が嫌われてきた歴史は古いのかもしれません。

1-5-1 応手非限定

変同の基本は応手が非限定であることです。
攻方の着手非限定に対応します。

【図32】

  • 55角成,同玉,56龍まで3手詰。
  • 55角成,34玉,44馬まで3手詰。

わざと曲詰にしたのですが、「何の問題もない」が多数派でちょっと安心しました。

自分に厳しく他人にも厳しい人。自分にも他人にも甘い人。自分に厳しく他人には甘い人。逆に自分には甘いけど他人には厳しい人。(適宜、「自分」,「他人」に「創作者」,「解答者」を代入してください)
いろいろいらっしゃるでしょうが、適当に厳しい方の感覚でお答えください。

【図32】は容易に作意が推定できるケースでした。
作意はどっち?と悩ましいケースも作ってみましょう。

【図33】

  • 23銀,13玉,12銀成,同玉,23金まで5手詰。
  • 23銀,13玉,12銀成,同香,23金まで5手詰。
  • 23銀,13玉,12銀成,24玉,25金まで5手詰。
  • 23銀,31玉,43桂生,同金,32金まで5手詰。
  • 23銀,31玉,43桂生,41玉,51金まで5手詰。

柳田会長が同じような図をだして「変同を楽しもう」といった主張をしたのは、詰パラだったか詰将棋の詩だったか……。

選択肢1は解答審査とトレードオフしようという主張にも聞こえます。
論争する場合はこのような意見は混乱を招くので避けましょうというのが冒頭に書いた内容です。
悪い例として上のような書き方をしてみました(^^)。

さて、上の例は5つの変同(4つ?)がある図ですが、次の自作も5つの変同があります。
違いは、わざと変同を作ったことです。(ん?同じか??)

【図34】

  • 44金、同玉、45龍まで3手詰。
  • 44金、63玉、66龍まで3手詰。
  • 44金、同銀、56龍まで3手詰。
  • 44金、同香、34龍まで3手詰。
  • 44金、同角、25龍まで3手詰。

2手目の応手5通りに対して、龍の動かし方が5通りという狙いです。

やはり3手詰は独立した分野で「変同を楽しむ」エリアですよね!
では5手詰は?7手詰は?

1-5-2 合駒非限定

着手非限定の甚だしい物は余詰とされます。
対応する応手非限定も同様の感覚になってきたのは、おそらく詰将棋の進化(変異)によるものでしょう。
すなわち攻方の妙手が主眼だった詰将棋でしたが、合駒を筆頭とした玉方の妙手も表現するように変遷してきたことが大きく影響していると思います。

【図35】

  • 13角成、21合、23桂まで3手詰

13香、12合、31飛、21合、33角、22合、23桂まで7手詰。
みたいな図を用意すれば良かったですね。

合駒非限定も攻方の着手非限定と同じで、完全に非限定ならむしろ気にならないのだけれど、なまじ一部非限定だと気になってくるように思うのです。

次はそのような例。

【図36】

  • 33龍、32金、同龍、同玉、33金、31玉、22金まで7手詰。
  • 33龍、32飛、同龍、同玉、12飛、31玉、22飛成まで7手詰。

なまじある程度限定されていると逆に気になるような気がしませんか?
これで32合とした解答が届いたりしたらマルかバツか紛糾しそうですよね。

1-5-3 変同余詰

変同が作意と区別がつかないのなら、その変化手順のなかに別詰(余詰)があったらそれは余詰(不完全作)ではないかという意見があるようです。

議論がちょっと前にtwitterで行われたようです。当時はフルタイムで働いていたので、twitterはほとんど読んでいなかったのですが、「変同余詰」という単語だけ記憶に残っています。
言葉から想像してコーユーことだろうと書いていますが、違っていたらご指摘ください。

【図37】

  • 59香、58飛、57銀、同飛成、66馬、同玉、76龍まで7手詰。
  • 59香、58金、57銀、同金、66馬、同玉、76龍まで7手詰。
  • 作意は飛合。金合だと上記の順の他に次の手順でも詰む。
  • 59香、58金、57銀、同金、同香、同玉、58金、46玉、35龍、56玉、67馬まで11手詰。

発表当時は金合の7手の解答を誤解としたために変別論争を巻き起こす導火線となりました。しかしこのテキストでは、解答審査基準は2章の範疇です。
ここではあくまで作品として金合の場合の同香以下の手順の存在について考えてください。

(「作品としてはアリだけれど解答募集には不適格」という選択肢はないの?とか色々あるでしょうが、そこは適当に読み替えてエイヤッと選択してください(^^)
また最初の選択肢など正しくは余詰ではなく別詰と書くべきなのですが直感で掴みやすい方向で!)

追記にありますが、「余詰があるからこれは作意ではないので逆に変同ではない」という意見もありました。
これは出題範囲の問題が解答審査の問題に反射して返ってきたような印象ですが……。

1章もあと少しで終わります。予想より時間かかった……。


追記(2020.7.22)

追記(2020.7.31)
金少桂さんのコメントの中に出てきた志賀友哉作は下図です。

「詰将棋のルール論争(9) 変同」への5件のフィードバック

  1. 無駄合で述べた延長です。変同をすべて「不完全」としたら(極端な話、玉方最終手の尾岐れまで「不完全」としたら)、詰将棋界を破壊するに等しい行為でしょう。
    あくまで私見ですが変同はすべてOK。
    図33のように、5手詰でいきなり2手目から尾岐れになるような作品には、問題があると思いますが、それは作品評価上のこと。変同はすべてOKと決めたら、こうした作品も当然OKです。鑑賞者として高い評価ができないだけのこと。

    更に、変同の一方に別の詰め方があれば、むしろ御の字^^
    解答ではどの詰手順を書いても正解ですが、変同の一方に別詰があるなら、そちらは作品の本手順にはなりえないのですから、創り手からみれば本手順が一意に決まって、別の詰め方のない純粋な変同よりも優ると私は考えます。

  2. 共感されることはないでしょうが、一応、こういう考え方もある、ということで、書いておきます。

    私の先生は、チェス・プロブレムに馴染んでいた&懸賞形式を余り好きでなかった――こともあってか、「変同は全く気にならない」という立場だと聞いたことがあります(当然ながら、余詰は許容しません)。玉方の応手に対して、詰め方の手順が一意に決まるなら、それで全く問題はない(むしろ、変同は価値を高めるくらいだ)、といったことも聞いた覚えがあります。(つまり、詰め方が最も長くなる変化が最善で、作意になる、という感じかと)
    図34はよくできた図で、図37は不完全、という感じかと思います。

    私自身は、すべてそれの立場にたつことはありませんが、少なくとも図37のような手順はダメだろう、と思ってしまうくらいには毒されてしまいました。

    1. 私も変同はまったく気にならない教えを受けてきて(?)、特に変同を消すための配置をした作品を発表したとき、批判されてからは変同は気にしないことにしました。

      ただ、実はこの連載を書いていて、だんだんと「変同を嫌う」理由がわかってきたような気がしています。
      理由は本文にも書いたように

      • 合駒をはじめとする玉方の妙手の追求

      そしてもうひとつは

      • パズル志向

      だと思います。
      詳しくは詰将棋雑談で書きます。

  3. > 合駒をはじめとする玉方の妙手の追求

     は、ちょっと想像がつくかな。(もう一方の“パズル志向”は、余りイメージが結びつかない)
     
     もちろん、その一方で、変同を嫌うがための代替案(よくある、駒余りにするための駒配置など)とどちらがより罪深いものか、といった点にもちょっと関心はあるのですが。

  4. 最終2手変同と、4手前以前の変同は分けてはいかがでしょうか。
    (個人的にはどちらも同じことだと思うけれど、この2つでは感じ方が違う人は多い印象。おそらく図34は大多数の人が「これはこれでアリ」を選ぶと思われますが、最終2手前だから、というのはあると思います。)

    以下、個人的な見解をダラダラダ~ラと。ちなみに私は変同容認派です。
    結論からいえば、変同はルールの問題ではなく、作品評価上の問題と捉えるべきと考えます(変同で減点、場合によっては加点するのは解答者、鑑賞者の自由)。
    作意と変同は、客観的には見分けがつきません。手順の内容によって明らかにこちらが作意だろうと分かることも多いですが、それは、こちらの手順の方が優れているから、などという主観的な問題です。
    (図32は、現在の一般的な価値観の人であれば、主観的に2手目同玉が作意と感じるはず。)
    変同手順は作意手順と等価で、本詰手順としての資格がある手順と言えると思います。作意・変同を含めて本詰手順を構成する、と言っても良いくらいです。
    そのことを上手く用いた、『良い変同』なら作品価値を向上させることもありますし、明らかに作意より劣る手順の変同手順が、優れた作意手順と等価扱いであることで作品価値を損ねる、ということもあるでしょう。
    後者のケースで変同が問題視されるケースが多い、というのが個人的な実感です。逆に前者のケースでわかりやすいのが図34のような3手詰のケースで、変同が作品に厚みを持たせているように感じられます。多くの人が変同を加点材料として評価するはずです。
    図33も、個人的には1作で2作品分楽しめると加点評価します。しかし、人によっては減点する人もいるでしょうし、中には不完全「に近く感じる」人もいるでしょう。但し、あくまで評価の問題であって、図33のような変同作が不完全作「だ」、とまで言い出すのは間違っていると思います。
    最後に、変同を用いた傑作として思い出すのは、2016年保育園5番の志賀友哉作ですね。初手の捨駒を2手目どの駒で取るかによって3手目の捨てる銀の成生を使い分け、4手目と5手目はどちらでも同じ、というものすごい対比です。変同が作意と等価であることを利用した一種の2解的表現で、こういう作品を観るにつけ、やはり変同には堂々と存続してほしいと思うのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください