Writer:松田圭市
有名な3手詰看寿賞作は、限定移動で中合を封じる作品だ。
これにいたく感心した私は色々作図を試みたが、この3作を超えるのは作れていない。ちなみに小説家で自殺する人が多いのは過去の自作を超えられないと悟ったのが理由ではないか?という説がある。くわばらくわばら。
1図 北海道将棋連盟2007年12月
3手目は角を素抜かれないように43金と指すのが自然に見えるが、24歩合で逃れる。
そこで作意は22金左と潜る。
2図 詰パラ2014年7月
初手は51飛が自然だが以下32玉23銀生43玉61角52歩合で逃れ。
初手は61飛が正解だ。これだと43玉には63飛成以下詰む。
3図 将棋世界2005年2月
初手25銀だと13銀と移動合されて逃れ。11金同玉に23桂と緩衝材を置くことで移動合を封じる。
この3作が成功したのは、解答者の読みをどのように誘導し、それを裏切ろうとしているのか?という所以と思う。
私が詰パラの短編を鑑賞して感じたのは変化伏線の奥ゆかしさがあることだが、初めは少し反発を感じた。作意に出なければ意味ないとか、双玉でできるのならそれでいいだろうとか思っていた。
詰将棋は人を騙す側面があるが、なぜこんなに惹かれるのか、最近考える。あまり良くない人間関係をつくる傾向があるので、世の中に見返してやるという心持があったのは偽らざる事実である。
将棋や麻雀と違って詰将棋は戦いではなく、癒しの要素もあるが、作家としての私は人格者ではないと認めざるを得ないかと思う。