ついさきほど、6月号やさ院の結果稿の2校を送信し、これで3年半にわたった詰パラ大学院担当の仕事がすべて終了した。
パソコンの周りにうずたかく積まれていたパラのバックナンバーや詰棋書も本棚に片付け、解答の束も押し入れに突っ込んだ。
余詰を1題出してしまったが、なんとか無事に役割を終えることが出来て、心底ほっとしている。
そもそも、なんでオイラが大学院担当を頼まれ、それを引き受けてしまったのか。
考えてみると謎だ。
先日の全国大会で水上さんも「どうしてだろう」と言っていた。
実際、オイラは世間では短編作家だと思われている。(実は何作か長編も発表しているのだけれどね)
長編なんて門外漢だというのが公平な評価だろう。棋力も低い。解けないものを解説なんかできるのか?
たぶん、ちょうど近将がなくなったんで、暇だから頼めば引き受けるだろうぐらいのエーカゲンな考えで声をかけたら、「やる」というので、まぁいいかと水上さんはやらせてくれたんじゃないかな。
いや、いい経験をさせてもらいました。
毎月、冷や汗ものでしたが。
実力もないのに、なんでこんな仕事引き受けてしまったのだろうと後悔することもしばしば。
では何故なんとか続けることが出来たのか。
柿木先生や東大将棋、そして検討協力者のみなさんの力はもちろんだが、一番は褒めてくれる人がいたからだと思う。
佐藤和義さんは同じ職場ということもあって良く合うのですが、「大学院の解説は読みやすい。スイスイ読める」とよく褒めてもらった。
パラを隅から隅まで読みつくす熱中時代は別として、大学院は解説を読んで楽しむという人の割合が多いだろうから、そう言ってもらえるのは嬉しかった。
柳田さんにもよく褒めてもらった。
「長編の繁栄は風さんの功績だ」まで言ってもらった。
そんなもん、作家のみなさんの手柄に決まっているのに、言われて悪い気はしない。
オイラのやったことは、人に会うたびに「作品ください」とお願いしてまわったことぐらいだ。
(伊藤さんは作品くれると言ったのに、まだ届かないなぁ)
そして作家のみなさんから「丁寧に解説してくれてありがとう」という言葉もいくつかいただいた。
これも嬉しいものだ。
毎月毎月、一旦は記述した変化・紛れを結局ごっそり削除して提出ということをやっているので、いつも心苦しく思っている。それだけになおさら嬉しい。
いや実際、不安いっぱい抱えてやっているもので、ちょっとでも褒められると拡大印刷して壁に貼っておきたいくらいの気持ちになるものなのだ。例えばこんな一言も。
半期賞はしっかりした担当が選んでいる。
そういえば3作半期賞にしたいというのに、「基本1作。多くても2作や」と言われたっけ。
名前をだしても問題なかろうという方だけあげましたが、本当にみなさま感謝しています。
ありがとうございました。
さて、ここからは自慢だ。
これは自分の実績だと誇れることが一つある。
それは、後任に安武翔太さんをつかまえたこと。
■その大学院の担当が安武翔太氏に交代になりました。
風さんが直接口説いただけあって申し分のない人選で、どんな解説になるのか、期待が膨らみます。
反響はこれだけではなく、直接何人からも「妙手だ」と褒められた。
自分でも、自慢の一手だ。一石二鳥の妙手だと思っている。
一つは、オイラの解答者目線よりさらに低い長編鑑賞者目線の解説から、今度は作家目線の解説が期待できるということ。
誤解を招かぬようにあえて書くが鑑賞者目線の解説が悪いわけではない。(逆に大崎さんの後だからそういう路線がいいだろうと思ったのも引き受けた理由の一つだ)
雰囲気ががらっと変わるのが新鮮でよかろうという意味。新しい作家たちの投稿にもより優れたアドバイスが期待できる。
文章力もブログを読めば保証付き。
作家にとっても読者にとっても、最高の人材だ。
もう一つ。
かつて山崎隆さんの「大学院担当をして、作家活動によい影響を受けた」という趣旨の文章を読んだことがある。
安武さんの作家としての実力は誰もが認める所。例えば、あの煙詰!あの王さんは都をいったい何度踏むのだろう。あんな煙詰見たことない。
でもしかし、煙詰以外の長編は見せてくれないのか?
大学院担当でたくさんの投稿作を検討し、そこから自然と湧いてしまう新しいアイデア。
数年後にはバラエティに富んだ作品を連発する長編作家が誕生することになるのだ。
どうです。これは自慢してもいいでしょう。
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「一番は褒めてくれる人がいたからだと思う。」
ああ、私もそう思います。それが最大の理由でしょうね。
結局、私の担当の際は、殆ど誰にも褒めてもらった記憶がない。(詰将棋の会合に、あまり出ていなかったせいはあるかも知れないけれど)。自分の立ち位置(敢えていえば、研究者メインで、それに解答者と創作者のスタンスをちょっと混ぜてみました、というくらいだろうけれど)は既に完成されていて、その観点から担当をするしかなかった訳で、それを他の方に受容してもらえるものかどうか、という認識でしたが、褒めてもらえなかったことで、「ああ、この立ち位置は必要とされてないんだな、と実感したのは確かでした。
まあ、今と比べ、解説のページ数に余裕がなかった(作品によって増減するなんて殆どできなかった。――これも、風さんの功績かも知れない)のも確かで、読む人に消化不良の思いをさせた可能性もあるかも知れませんが。
解答者の方には、時折でもいいから、解説の感想を総評に書いて――と今ならお願いすることも考えたかも知れない。
『男はつらいよ 寅次郎夢枕』の中で御前様はこう言っています。
「人は褒めあうということは、これは実に良いことだね。お互いに褒めあわなければいけない、褒めあってこそ人間は少しずつ向上していくんじゃないかな」
護堂さんみたいに作家・解答者・研究者として名が通っていても、そう思うのですね。
やっぱり大事なんだなぁ。大人でも褒めることは。
解説ページ数の増頁は水上さんは鷹揚に認めてくれました。
なるべく早めに撰題予定を立てて、半年分くらいまとめて頼んでいました。
もっとも「特別出題」にした方が良いかもという作品も欲張って大学院で抱えてしまいましたが。
考えてみると解答者にとっては負担増でも、出題数を増やす意味では特別出題にしたほうが良かったかなぁ。
とてもオイラの手に余る作品が投稿されてきたら(「乱」とか「キューブ」とか)特別出題にまわすつもりではありました。田島作が来た時には緊張したけれど、「これならなんとかなる!」という作品だったのは、おそらく田島さんがそこらへんの匙加減を見極めて投稿してくれたのでしょう。
解説は、手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。
私も昔、長編の解説では手を抜いた。
風みどりさんは相当な時間を費やしている。
解説読めばすぐわかりますよ。
詰将棋を愛しているんですね。人気があって当然。
私も魂を揺さぶられたひとり。
長いブランクから脱出させてくれたことに感謝申し上げます。
激務、お疲れ様でした。
過分なお褒めの言葉、恐れ入ります。
これからは創作を再開できるよう、ちょっとがんばってみるつもりです。
やはり創作・投稿していないと、届いたパラを開くときのときめきがぜんぜん違いますからね。
それとちょっとした研究物を書きたいなぁ。
風さん、担当お疲れ様でした。
風さんの担当のおかげで、長編解答を復活でき、ひいては(細々ながらも)創作も再開できました。
もちろん解説の面白さもありましたし、風さんの人徳で引っ張ってこれた作品の素晴らしさもあった
と思います。
今後(しばらくは?)解説が読めなくなるのはさびしいですが、作品でお会いできるのを楽しみに
しております。
短編も、もちろん長編でも(笑)
長編…馬鋸で修正待ちの作品あったんですけど…それを6月号のやさ院で出しちゃおうかと思っていたのですが…予想以上に作品が集まったので出番はありませんでした。
嬉しい誤算です。
長編の発表はデパートばかりで大学院に登場したことないんです。
大学院に作品で登場を当面の目標にしようかな。
短編はもう作れないんじゃないかなぁ。
スマホ詰パラ向け以外は…。
短編、最近選題のレベルが上がり過ぎているようで(個人的感触)、連続返送くらって
ちょっとめげてます。
発表の場は少なくてもまだ中編の方が選題されやすいのかも?(笑)
スマホ詰パラも取ってもらえるとうれしいですね