詰将棋で遊ぶようになって例えば詰将棋パラダイスに解答を出すようになると、解いた作品に評価をつける。
気に入った作品には「感動したA」、ふーん詰んだなという作品には「王手王手で詰んだB」、なんだこれという作品には「時間の無駄だったC」などと短評とABC評価をつける。
しかし中には、何を書いたらよいのか、どうやってABCを決めたらよいのか皆目分からないという方もいらっしゃるだろう。
そこでちょっと書いてみようかと思ったのが運の尽き。なかなか手強いテーマで四苦八苦。
しかし、とりあえず一つの叩き台にはなるだろうから公開することにした。
はじめに断るのは責任回避臭くて嫌だが、それでも初心者の為に断っておかねばなるまい。
これはあくまで風みどり個人の考え方であって、絶対のものではない。本当に人それぞれ様々な考え方があるし、だからこそ面白い。
1 作意変化紛れ
枻将棋讃歌という雑誌だっただろうか、詰将棋界の重鎮らがいろいろ語り合うという企画があって、その中で「1手詰は詰将棋か」という命題が取り上げられていた。
そこで(たぶん)岡田敏さんが「詰将棋は作意・変化・紛れがそろってないとあかん。1手詰は変化がないから詰将棋ではない」という趣旨の発言をしていた。
それ以来、詰将棋の3大要素として作意・変化・紛れがあるということを心に刻み込んだ。
詰将棋を創り始めて、または解き始めて、最初に意識するのはもちろん作意だ。
ここで「作意」という言葉を辞書で引いてみると、次のように記載されている。
(1)意志。たくらみ。
(2)芸術作品における作者の意図・趣向。
(3)機転。工夫。
(4)茶道で、創意工夫。作文。
以上である。
(5)詰将棋において、正解手順のベースとなる作者の意図した手順。
と、是非付け加えて欲しいものだ。
「作意」にはもともと「正解」という意味はないことを確認しておこう。詰将棋の「作意」は(2)の「芸術作品における作者の意図・趣向」という意味から派生したものと考えられる。
創るにしても解くにしても経験を積むにつれ、作意手順の巧緻だけでなく、その表現にも目が届くようになる。表現とは主に駒の配置である。同じ作意手順でも、いかにもでるぞでるぞといった大仰な配置の作品よりも、すっきりした配置から出現した方がずっと感動を与える。では駒数が少なければ少ない程、優れているかというと、必ずしもそうではないようだ。
駒数をそぎ落とすと面白い変化を消してしまうことになる場合がある。
変化は作意より短く詰めばよいというだけではない。変化にも好手順を盛り込めばより解答者は満足感を得られるわけだ。
そして紛れであるが、そもそも紛れとは何であろう。
単に指し手の選択肢が多ければ紛れが多い、難解な詰将棋すなわち高級な詰将棋ということなのだろうか。
否である。
余詰探しマニアでなければ読まないような攻方選択肢がいくらあっても、普通の解答者は読まないのだから意味がない。このような手には「検討用紛れ」という言葉もある。
では、解答者が迷う選択肢が多いほど優れた詰将棋なのだろうか。
この点についても、筆者は否と申し上げたい。
作意・変化・紛れとは手順についた呼び名である。
詰将棋は局面図で出題される。
局面図を点とすれば手順は点と点を結ぶ直線である。
このように認識すると、作意とは初形図から詰上がり図を結ぶ直線となる。
変化とは途中(初形)図から早詰に至る直線である。
では紛れとは、途中(初形)図から失敗図に至る直線である。
つまり紛れとは作者が想定した失敗図と1対1対応するものなのだ。
紛れも作者がどのように解答者を導こうとしているかという意図の表現なのである。
優れた紛れを持つ作品は、解答者に作者からのメッセージが伝わる。「この謎を解いてみよ」というメッセージである。
作者がなにをこの作品で主張したいか。
そしてそれが作意・変化・紛れでどのように表現されているか。
鑑賞とはそれを読みとり、作者の感性と自分の感性をすりあわせることである。