著者の信太氏は筆者と同年代の方。三重県の方で筆者は東京だから直接の面識はない。詰パラの誌上での知り合いだ。
筆者よりちょっとあとにデビューして、華々しく作品や読者サロンで活躍し、奇書『詰将棋工学母艦』(1994)を著わした。その後、龍追い長篇で1998年看寿賞を受賞。その後も時折作品を発表しているが、ここ10年は発表作がない。したがって新しい読者はご存じないかもしれない。
信太作品の特徴は、発想に強烈なオリジナリティは感じられないが、作品を仕上げるパワーと完成度の高さが極めて優れているところだ。
2つ例をご覧に入れよう。
1981年、詰パラ読者にしては詰将棋仲間そしてプロ棋士・歌手でもある内藤國雄が新幹線の中で次の作品を創作したというニュースが新聞に掲載され話題になった。
内藤國雄「実戦初形」神戸新聞1981.3.8
そしてその年の詰パラ7月号に次のような特別出題が掲載される。(元は6月号出題予定だったらしい)
続いて10月号にもう1作。
短期間に実戦初形を3作(+試行作2作?)も創作するパワーに驚かされる。
出題の言葉は正直に言って意味がよく分からない。内藤作に関しても「図巧97番をここまで発展させた功績は素晴らしいが、どうせなら92とも消してほしかった。そこで小生が頑張ってみました」ぐらいに書いておいた方が読者の好感を得られることは百も承知の上で、あのような攻撃的な文章を書いてしまうのが若者のあふれ出してしまう情熱なのだろう。
作品集には、実戦初形は1作のみが選ばれ収録されている。
信太弘「大坂城」『景観百番』第21番
この時期、初形条件作に魅力を感じていたようで「持駒歩18枚」作品も多数発表している。これらも厳選されて『景観百番』に収録されているのは1作のみ。「雲出川の定理」で有名な「雲出川」も収録されていない。
「持駒飛角金銀桂香歩」もかなりの数を創作されたようだが、収録されているのは4局。
このような条件作や、看寿賞を受賞した龍追い長手数作品などの印象が強いと思うが、実は短編の創作でも優れたセンスを持っていることを示しておこう。
まずは誰もが知っている5手詰から。
渡瀬荘次郎 『待宵』第2番
41角、同金、32銀、同金、13金まで5手詰
退路封鎖の基本手筋として、同じような筋の作品は初心者向けの詰将棋の本には必ず載っているのではなかろうか。(調べてはいない)
短編作家だったら、この作品を発展させて「斜め3連捨てにできないか」と一度は考えてみる。つまり持駒を角二金銀にして「☗○○角、☖同金、☗○○角、☖同金、☗○○銀、☖同金、☗○○金まで7手詰」という手順だ。同じ方向からの三連捨て。
しかし実現は存外難しい。2手目の変化処理が問題で、どうしても変長になってしまう。
だから次の作品が発表された時は、見た途端に解けた。そして「なるほど~」と感心したものだ。
橋本樹『紅樹』第15番 詰パラ1979.11
23角、同銀、34角、同銀、45銀、同銀、66金まで7手詰
12角の余地も残して23角に限定してある。盤面も10枚で7手詰としてはギリ合格。
予備知識を持っていただいたところで、信太弘の作品を見ていただこう。
信太弘『景観百番』第73番 詰パラ1989.5
26角、同飛成、37角、同龍、48銀、同龍、69金まで7手詰
わずか盤面7枚。変化で玉を47に動かし35とに紐をつけるという発想がコロンブスの卵。見事である。
煙も3作収録されているが、現在の目で見れば特筆するべき所はないのでここで紹介はしないでおこう。残念だったのが「サーキット道路」という龍鋸の傑作。是非収録して貰いたかったが、「修正不能です」との返事だった。
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