詰将棋雑談(91) 精妙21番

特典小冊子で次のような作品を並べていた。

六峯昇歩 風ぐるま1954.2

清水孝晏 将棋世界1994.4

谷秀男 詰パラ2001.8

いずれも同一手順といってよい5手詰だ。他にもこの筋の作品は数多く存在する。
そこへミーナさんが「この筋の元祖は精妙第21番だと思う」と教えてくれた。

(2023.8.28追記 T-Baseからの検索で当初「谷秀夫」としていましたが、パラを確認して「谷秀男」に修正しました。谷さん御免なさい。)

伊藤宗印 『将棋精妙』第21番

筆者は古典については疎く、伊藤宗印(5代名人)も宗看・看寿のお父さんということしか知らない。
門脇芳雄『続詰むや詰まざるや』を読むと、200局の作品を遺しているという。普通は献上図式百局で終わりだから詰将棋にも情熱を注いだ方だったのか。
その献上図式が俗に言う『将棋勇略』、『将棋精妙』は不成百番の異名を持つ作品集ですべての作品が不成の手筋を含むらしい。
おもしろいのはその出版年だ。『将棋勇略』が元禄13年(1700年)、これは名人就位の13年前だという。献上図式って名人になった記念出版というわけではないのか。そしてさらに不思議なのは『将棋精妙』で安政5年(1858年)の出版だ。すでに幕末。時代は八代伊藤宗印(11世名人)だ。その前書きにこれは2世伊藤宗印が我が家に遺した不成百番だと書いている。書肆山静堂が乞うので上梓することにしたそうだ。
この安政5年版は解答もついていて以下の通り。

ん?並べてみても、最初の5手詰らしき筋は出てこないよ。

ミーナ それは10手目の逃げ方が間違っているからだよ。だから13手目55角とか17手目74飛成という余詰もある。ただしい逃げ方は10手目83玉だ。

10手目83玉とした場合の手順がこちら。

おぉ、たしかに最後に例の5手詰の筋が出てくる。
アレ?しかもこちらの順が23手駒余らずだから、普通に考えてもこちらが作意なのではないのだろうか。
初形図を柿木将棋に解かせたらこちらを解答してくるはずだ。

ちなみに我が家の本棚をあさったら『将棋精妙』が3冊も出てきた。
一番小さい将棋名著古典文庫は既に写真を載せた安政5年本を底本としたもの。
正方形のが詰パラの前身、紳棋会編集のものだが、やはり19手解。
大森書房の詰将棋精選第3巻は19手解と並行して23手の順も載せていた。

せっかくなのでもう少し調べてみたところ、23手の順を正解順として紹介している本が見つかった。

これは解説を読めば判るとおり、元の本の正解を引き写したのではなく、自力で解図して解説を書いていることが読み取れる。
この本の著者は塚田正夫六段(現・名誉十段)だ。

この本は所持しているわけではないが、現代はありがたいことに国会図書館の蔵書を家に居ながらにして読むことができる。
感心するのは塚田正夫名誉十段が江戸時代の棋譜や詰将棋をきちんと調べて書いているということだ。
目次を折角の機会だから紹介しよう。

現代のプロ棋士の先生にもこのような本を是非ものにしてもらいたいと願う。

ちょっと読むと、まだ図巧100番に「寿」という命名はなされておらず、「煙詰」も100番を指すのか99番を指すのか諸説あるといった時代だということが分かる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください